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カテゴリ:46.大自然界の教え( 1 )


2018年 05月 05日

46.大自然界の教え

          大自然界の教え

        大自然界の摂理=真理



 私達人類を含め全生物は大自然界の大いなる生命の営みにより大自然界に活かされ生きています。
大自然界の大いなる生命の力と働きにより全生物は誕生し物質体・肉体的に活かされ生きています。
大自然界そのものも大自然界の大いなる生命の力働の営みにより親創造・親現されて存在しています。

大自然界の大いなる生命の営み無しには全生物の生存も、宇宙の全ての存在・現象もあり得ないのであります。大自然界のあらゆる現象・存在は大自然界の大いなる生命の力と働きによってなされています。生命とは能動的に何かをする力と働きであり、何でも出来る汎用性ある力と働きであります。この事を
「生命力働の理」といいます。生存する事、、即ち生きるとは「生命活動の姿なのであります。生存という「生命活動の理」の根源的本質は「生命活動の理」の活動であります。

大自然界の大いなる生命力働の営みは、全生物、全存在に「生命の理」を与えています。
大自然界の大いなる生命とは「生命の大親の理」であり、この絶対なる貴き御存在を「大親である大生命」即ち、「大親大生命」といいます。

物理学で言うエネルギーの根源的本質、大自然の大いなる生命である「大親大生命の大生命力働の理」なのです。大宇宙開闢のビックバーンも「大親大生命力働の理」であるエネルギーによりなされ、物質的存在や現象の全てが「大親大生命力働の理」であるエネルギーによりなされています。
物質がエネルギーで出来てE=MC2 のアインシュタインの相対性理論の本質の根源は「大親大生命力働の理」なのであります。

生命そのものは目に見えません。しかし生物に生命があり生きているか死んでいるかは一目瞭然で明確によく分かります。つまり生命力働の活動をしてるかどうかはすぐ分かるのであります。
全生物は肉体的に生きているか死んでいるか、或いは植物の様に物質体的に生きているか、枯れて死んでいるかはよく調べれば明確に分かる事なのであります。

 「大親大生命力働」即ち、エネルギーで出来ている物質でも同じことであります。物質という形態をもって生存在の「生命力働活動の理」を行っているか、或いは物質という生存在の形態を失って無となりエネルギー即ち、「生命力働の理」に循環還元してしまっているかどうかは、存在の有る無しで明確に分かります。
大自然界では大自然界の事実をもって事実である事を証明しているのであります。

 大自然界の教えとは、事実を基準として事実をもって事実=真実=真理である事を意識・認識を行う事が大自然界の教えであります。
従って、大自然界の教えとは、大自然界における事実=真実=真理をもって事実=真実=真理である事を示し、教え、証明している「自明の理」であります。
「自明の理」とは事実をもって事実である事を証明する理であります。

例えば果物のであるリンゴである事は、実際のリンゴの事実をもってリンゴである事実=真実を証明しているのであります。この事が「自明の理」なのであります「自明の理」とは事実をもって事実であることを証明する事であります。事実以外の事実はありません。
事実=真実=真理が事実=真実=真理である事を証明する事が「自明の理」なのであります。

 大自然界の十元の理法一つに「循環還元の理法」があります。大自然界の全ての事柄・現象が循環還元して成り立っている事実=真実=真理であります。
例えば、地球も太陽も銀河も循環して成り立っています。人間の肉体の新陳代謝も血液の循環も呼吸も全てが循環還元して成り立っています。

大自然界の「循環還元の理法」とは何時でも、何処でも、何にでも、大自然界の全てに当てはまる
永遠・普遍共通の理法であります。大自然界の事実=真実=真理であります。
真理とは「自明の理」により大自然界の事実=真実=真理である事が証明され、永遠・普遍共通に全てに当てはまる事柄であります。
この事が真理の定義であります。

 大自然界の「自明の理による事実=真実=真理に対して地球人類が自らの観念の産物として
創造、想像した宗教宗派の神仏や信仰は大自然界の事実=真実=真理ではありません。
何故なら宗教宗派の神仏や信仰はその様に信じる宗教宗派の人達だけにしか通用しない事柄であるからであります

例えば世界の三大宗教と言われているキリスト教・仏教・イスラム教を例に考えるならばキリスト教の「天なる父の神」や信仰はイスラム教・仏教には通用しない。同様にイスラム教の「アッラーの神」や信仰は他の宗教宗派には通用しません。同様に、仏教の様々な如来や菩薩などの仏もキリスト教・イスラム教信仰の人々には通用致しません。

宗教宗派の神仏や信仰はその宗教宗派を信じる人達にしか通用しない、当てはまらないという事が事実なのであります。宗教宗派のこの事は、大自然界の永遠・普遍なる事実=真実=真理とは言えないのであります。
キリスト教の「天なる父の神」とはイエス・キリストという一人の人間が勝手に言い出した事なのであります。それまでのユダヤ民族の神は一神教の「ヤーベ」であり「天なる父の神」は無かったのです。
ユダヤ教の新興宗教としてイエスという一人の人間が自分は世界を救うメシヤだ、としてその様に人間の言葉で言った迄の事であります。  

 キリスト教ではイエス・キリストは「天なる父の神」の一人子であり処女懐妊してこの世に生まれて来た、とされています。罪の子である人間の罪を贖う為に十字架刑にかけられ死んだ後は永遠に滅びない肉体をもって復活した、とされています。
一体この事の証明は大自然界の「自明の理」の事実=真実=真理としてどの様にして出来るだろうか?事実の証明が出来ない、だから只信じるしかないのであります。

 地球人類の宗教宗派とは人間教祖達がその様に言ったまでの事であって、大自然界の「自明の理」による証明は成され得ないのであります。だから大自然界に於ける永遠・普遍共通の事実=真実=真理ではないのであります。

 イスラム教の場合も同様であります。イスラム教の「アッラーの神」はマホメットという一人の人間が勝手に言い出した事であり、大自然界における「自明の理」の証明は全くなされないのであります。
人間の言葉は事実そのものではありません。
「アッラーの神は偉大なり」と言って同じ宗教のなかでシーア派・スンニー派がテロで殺し合っているが、果たしてISのイスラム国の様に人間同士が互いに殺し合う事を奨励し喜ぶ神が本当にいるのだろうか?

 事実でない事を言葉では何とでも言えます。例えば振り込め詐欺や特殊詐欺では事実でない事を言葉を使って信用させ騙すのです。地球人類の宗教宗派も同様に言葉だけを使って人間を信じさせ騙してはいないだろうか?

とにかく人間集団である宗教宗派の神仏や信仰の中身は、大自然界における「自明の理」の証明がなされ得ない事柄であり、ただ信じるしかない事柄なのであります。
イエスがガリラヤ湖の水の上を歩いた、釈迦が生まれて七歩歩いて天と地を指さして「天上天下 唯我独尊」と言った、という話の「自明の理」の証明は成され得ないのであります。

 宗教宗派の人達は「神は信ずる者にはいる、信じない者には存在しない」などという。
人が信じるか、信じないかという人間の心にによって神仏の存在が決まるのだろうか


 大自然界の事実=真実=真理である定義の一つは「大自然界の真理・理法とは何人が気付くと気付くまいとに関わらず、好むと好まざるとに関わらず何時でも何処でも何にでも誰にでも働いている大自然界の絶対的な理法・真理・摂理の力と働きなり!」という事なのです。

大自然界の真理・理法とは宗教宗派の様に人が信じるかどうかは全く関係ない事であり、大自然界の事実=真実=真理であるかどうかが問題であります。

知性・理性・感性の知性とは、事実を事実として意識・認識する事であります。
事実を無視して「自明の理」による証明が出来ない虚偽な事柄を盲目的にただ信じるという地球人類の信仰のあり方は知性に反した事なのです。大自然界の「自明の理」の証明が成され得ない事柄は単に人間の言葉だけに過ぎない。言葉は何とでも言えます。

言葉は一般意味論で指摘している様に、事実そのものでは無いのです。リンゴをこれはバナナです、ということも出来ます。何回も言われた人が暗示がかかってリンゴをバナナと信じてしまう事もあり得ます。信じてしまえば嘘も本当だと錯覚してしまうのであります。
振込詐欺は嘘を本当だ、と信じさせる事で成り立つのです。
例え如何なる嘘や事実ではない事柄も信じてしまえば本当だと思えます。信じる事の危険性だ。

 この原理から考えれば振り込め詐欺も宗教宗派の神仏や信仰も大自然界の「自明の理」の証明が成され得ない事柄や虚偽の事をあたかも事実=真実=真理の如くに信じさせている同じ行為ではないだろうか?

大自然界の教えは大自然界の事実=真実=真理が基準であります。
例えば、大自然界の「循環還元の理法」は人間が信じるかどうかが問題ではなく、大自然界の事実=真実=真理かどうかが問題なのであります。

宗教宗派は信じる事によって成り立っており、信じるかどうかが問題であります。
大自然界の事実=真実=真理の教えは、大自然界の事実=真実=真理であるかどうかが問題であり、大自然界の事実=真実=真理ならば事実=真実=真理として知る事、即ち意識・認識するだけの事であります。
宗教宗派の様に信じる信じないという事は全く関係ない事なのであります。宗教宗派の信仰には妄信・狂信という事が常に付きまといます。大自然界の事実=真実=真理の教えは大自然界の事実を知性をもって事実として知る事、つまり意認識する事だけであります。狂信・妄信という事はあり得ないのであります。

人間が人間思考や考えをもって主張する事は、例え哲学や倫理道徳や宗教宗派・イデオロギーや政治理論であっても所詮、そう思い、そう信じている限られた人達にしか通用しないものであります。
永遠・普遍共通の事実=真実=真理ではありません。
大自然界の事実=真実=真理ではありません。大自然界の事実=真実=真理は永遠・普遍であり全てに共通なのであります。何故なら全ての生存在は生物や物質の全てを含めて大自然界の
大いなる生命の営み即ち、「大親大生命の力働の理」によってなされ、大自然界に生存在しているからなのであります。

この貴き真理のお授けを「生命の大親」の御存在の方より教えて頂きました。


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by shizennori1 | 2018-05-05 17:31 | 46.大自然界の教え