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自然の仕組み

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2016年 12月 30日

8.有意味行為の原則

この素晴らし親の世界を親創造して下さっている「生命の大親」がより良く生きて行く為につくられた「有意味行為の原則」という原理・原則があります。

私達を活かして下さっておられます「生命の大親」の存在は、決して宗教宗派でいう神様ではありません。誰にでも当てはまる共通普遍の「生命の大親」であります。この様な「生命の大親」が存在しないと、この世が成り立たなくなってしまいます。必要不可欠なる存在であります。

しかし、宗教宗派の神は、その宗教を信じて行っている人達にだけしか通用しない神の概念であるからであります。こういう神の概念は、狭い概念であるからであります。この様な神の概念では、人種・民族・宗教宗派の対立を生みだします。

ここで言う親の概念は、宗教宗派に入っていようが入っていまいが、その宗教宗派の神の存在があろうとなかろうと一切関係なく、私達の心臓は動かされていますし、動物の心臓も動かされています。更に活きとし生きる全ての生命は、動物植物の差も無く活かされています。この親の概念は、宗教宗派を超えて、ありとあらゆる存在に通用しています。人間の意識をこえた存在であります。自然界にはその意味の言葉がありません。神様というと一宗教宗派の事となり正確ではありません。
何故なら宗教宗派の神の存在をしらなくても生きているからであります。

生命(いのち)には宗教宗派はありません。

何故なら、心臓を動かし血液を循環させ、新陳代謝をしてもらっている力と働きには動物・植物などの差は一切ありません。全て活かされ生きております。何の宗教をしておろうとも一切関係ありません。皆、同じであります。

何人であろうとも、男性であろうとも、女性であろうとも、皆等しく活かされ生きて居ります。

このような事について、概念が無いために、かってに宗教・宗派を作り神様が違うと言って争い、対立してしまっています
本質は何かといえば生命そのもののことであります。


生命には宗教宗派が無いことが事実であります。事実が一番大事であります。

だから、親の存在は、何人が知ろうと知るまいと、何人が気付こうと気付くまいと、好むと好まざるとにかかわらず、いつでも、どこでも、誰にでも、何にでもあてはまらなければなりません。

この様な存在であります自然を創っている「生命の親」がより良く生きて行く為につくられた意味行為の原則というのがあります

例えば、電車に乗る時に、誰かの病気のお手伝いをしに行く為に電車に乗った時と、誰かと喧嘩をする為に電車に乗った時と、その電車を降りた後の価値が違いますよということであります。
電車に乗っている行いは同じであります。しかしその中身が違います。

だからよく職人さんが物をつくる時に、魂をこめて作ったときと、適当に作った時と、その見た目は同じように見えても中身が違うということになります。

料理を作る時も、ただ機械的に作った料理と、美味しく食べてもらいたいと一生懸命に作った料理とは味が違います。これが中身が違うという事です。

同じように、この親世界を素晴らしく感動的に、より良く生きて行くのか、それとも、この世は苦の娑婆だと、悪の世界だと、面白くない因縁の世界だと生きて行くのか、同じ生きることについてもプラスの生き方をするのか、それともマイナスの生き方をするのかという、その生き方の中身が問題であります。

同じ生きるのにも「生命の親」は素晴らしく生きて行くことを望んでおられます。これは当然のことであります。

食事をするのも、美味しく食べることが本質であり、美味しくなく食べることが本質ではありません。だから何も苦しく生きる必要はありません。素晴らしく生きていくべきであります。その為には他の為の生き方をすることにより徳積の生き方をしないと、つまり、いいことをしないとその様な生き方は出来ません。

最終的には徳の問題であります



by shizennori1 | 2016-12-30 19:39 | 8.有意味行為の原則


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