自然の仕組み

shizenn1.exblog.jp
ブログトップ
2017年 04月 11日

17.「循環の理法」

私達は「生命の大親」が親創造されたこの親世界に、生命の祝福を頂いて誕生させて頂いております。誰も意味なく生まれてきた人はおりません。

私達はどこの家に、第何番目に、性は男性か女性か、自分で決めて生まれてきたわけではありません。全て「生命の大親」の御親意(みこころ)によって生まれさせて頂いております

何の為にかというと、親の意識になるためであります。肉体は黙っていても成長していきます。しかし、精神である意識は、そのままでは成長いたしません。

意識は、その人それぞれによって皆、違います。その意識を高める為に、若い時に問題を与えられる人、中年期に問題を与えられる人、晩年に問題を与えられる人、いずれにしても、その人の一番より良い時期に、魂の成長する問題が与えられます。

それは悩みではなく、其の人が努力すれば必ず解決できる問題であります

このような問題、言い換えれば、事状(あえて事情といわない)とか身状(身情といわない)の問題が誰にでも与えられます。

決して生まれた星が悪いとか、名前が悪いとか、住んでいる方位が悪いとか、先祖が浮かばれていないとか、この世が苦の娑婆だとか、悪の世界だとか、誰かの因縁があるだとか、そういうことは一切関係ありません。誰のせいでもありません。

自分の意識を高めるための問題であり、決して他のせいではありません。そのような悪い世界を「生命の大親」が造るわけはありません。親は苦しめるために、この世界を創造致しません。

問題を解決するに当たり、この大自然界を構成している原理、原則があります。この原理・原則・掟も「生命の大親」が親創造して下さっておられます
このような原理である理法は、何人が知ろうと知るまいと、何人が気付こうと気付くまいと、好むと好まざるとにかかわらず、いつでも、どこでも、誰にでも、何にでも、働いている大自然の力と働きであります

しかし、この力と働きは、事実であり、もろもろの言葉で表現しても、それは言葉であり、事実ではありません。例えばリンゴと表現しても、言葉は言葉であり、リンゴは、リンゴという事実をもって現されています。これを自明の理」といいます

自明の理とは、事実が事実をもって事実を証明し、現しているということです


こういうことからいくらこのような理法を知ってもより良くはなりません

そのような生き方をしなければ、そのようにはなりません。このような事が判って、理法を生命に刻まなければなりません。

その一つの原理が循環の理法であります。

この循環の理法は誰にでも当てはまる原理・原則・掟であります。私達の生きているこの地球は、春夏秋冬と自転、公転をしています。血液も心臓から出て、心臓に帰ってきます。種を蒔くと芽が出て、葉が現れ、花を咲かせ、実を付け、やがて枯れてまた種になっていきます。人間も息を吸ってまた息を吐き、寝ては起き寝ては起きます。言葉も「させて→頂きます」「行って→いらっしゃいませ」と循環しております。輪廻転生という言葉も、生まれ変わるという意味です。この様に循環しております。

大自然界の全ては、目に見えるものも、目に見えないものも、全部循環しております。いわゆる形があろうと形がなかろうとも全て循環しております。しかし、人類は、形あるものには循環していることが判っても、形ないものにも循環していることが判っていません

だから悪い種を蒔いて自己中心の生き方をすれば、まわりまわって、その種が我が身に帰ってくることが判っていません。何故なら自分たちの行いが、目には見えないから循環してくるということが判らないでいます

このことは宗教宗派に入っていようといまいと男性女性も関係なく、人種も年齢も動物人間も一切関係ありません。つまり自然界の原則・原理・掟は誰にでも当てはまるということです

循環の理法によりプラスの種を蒔くと、その結果プラスの結果が現れてきます。しかし、マイナスの種を蒔くと、循環してきてマイナスの結果になります。

このような循環の理法』は「生命の大親」が、私達がより良く生きていく為に親創造してくださった親理である理法であります親理は、要するに、親の理であります

だから、私達も生命の一部を頂いていることから、肉親の親に親孝行をしなければなりませんが、それ以上、どうしても「生命の大親に対して親孝行をしなければなりません。これが一番の生き方の根本であります。


[PR]

# by shizennori1 | 2017-04-11 11:45 | 17.「循環の理法」
2017年 04月 11日

16.「強度継続の理法」

この世の全ての存在・現象は、その存在・現象をあらしめる為に絶対時間的な継続が必要であります。即ち「存在する」という事は、絶対時間の上で何らかの継続があるからであります。

絶対時間とは、相対的この世の時間を超越したものであります。時間の本質的理を意味するものであります

もし「強度継続の理法」の働きがなくて、時間的に「0秒」の存在であれば、その存在は有りえないのであります。つまり存在している時間がなくては存在していないことなのであります

存在・現象をあらしめる理の力と働きが無くては、絶対時間に於ける瞬時の存在・現象の継続も有りえません

凡ての存在・現象は、それを時間の継続としてあらしめる理の力と働き、あってこそ有りえるのであります。

継続させる強度は意志の強さによります。意志の堅さは強度継続の強さに通じます。例えば、鉄は堅いものであるから、何十階建のビルでも建てることができます。しかし、豆腐ではたてられません

意志をどこまで貫くかによって、どれだけ困難なことを克服できるかが決まるのであります

「強度継続の理法」は時間的な長さでありますから、より永遠に継続するためには、意志の力と働きを強くしなければなりません

どこまでも努力し続けることが、この理法では最も大切であります。

求め続ける事によって「生命の大親」「強度継続の理法」の力が働くのであります。

意志の強さというものは、自己の生命エネルギーの開発発展によってなされるものであります

「生命の大親」のすべての親理の理用は、自己の生命力の開発発展によってなされるものであります

ここでいう理用とは「生命の大親の親創造された原理・原則であります親理に沿った生き方をすることであります。

要するに「生命の大親」「強度継続の理法」に沿って、どんな困難な問題であっても、強い意志の力と働きを使って継続的努力をすることであります

諺でいいますと「千里の道も一歩から」であり「ローマは一日にして成らず」であります

その結果として、自己の生命力の開発発展となり「生命の大親」の御親意(みこころ)に沿った素晴らし霊的観念の親の意識になる事に決定しているのであります


つまり
「強度継続の理法」に沿って、困難な問題を克服する努力をすることにより、人の気持ちの判る、他を思いやることのできる、やさしい親の意識へと成長発展することになります


[PR]

# by shizennori1 | 2017-04-11 11:39 | 16.「強度継続の理法」
2017年 04月 11日

15.「種類分化の理法」

この世に存在する全ての物は、みんなそれぞれに違っています。全く同じものは、この世に二つと存在いたしません。この様に「生命の大親は親創造して下さっておられます。たとえ、双子であっても全く同じ顔ではありません。

「十人十色」「田で食う虫も好きずき」「割れ鍋にとじぶた」「人みて法をとけ」「豚に真珠」などの種々な諺も、種類分化の理法を基にした考え方であります。

もし、この世の全ての事柄が、種類分化の理法によって異なっていないならば、「十人十色」という考え方は出てきません。

「十人十色」とは、種類・分化されて、この世は存在している事を悟らせる為の一つの例にしか過ぎません。人の顔も、指紋も、浜辺の砂の一粒一粒も、一つ一つの雪の結晶も、みんな違うものであります

この世は、「種類分化の理法によって、全て個々の異なったもの(個有性)で成立していることを悟らなければなりません。この様に「生命の大親」は、親創造して下さっています。

種類分化の理法」で、この世は成立しているという事は、もしこの理法が働かなければ、この世は成立し得ないということになります。

もし、この理法の働きがなければという仮定で、この世の姿を想定してみますと、例えば、もし種類分化の理法が働かなければ、リンゴやバナナという種々な果物は存在し得ない。更に、果物・野菜・穀類・などの食物の種類すら、存在し得ない事になります。。

種類分化していく働きを無くしたら、食物と非食物の違いも無くなるし、更に種々な物質の違いも無く、分子・原子・種々な素粒子の種類も違いも無くなってしまい、更に又、物質と非物質(物質と形而上的存在)の違いも無くなってしまい、もはやこの世は成り立たなくなります。

理法とは、この世を成立させている最も根元的かつ基本的なこの世の掟であります。

従って理法は、この世の全てにあてはまるのが当然であります。すなわち、理法は永遠・普遍の存在であります。

理性的価値判断・・・・・・「理の判断」・・・・・・理法の価値観

理の判断とは、いつでも、どこでもあてはまる理法を基にして、理性的に物事を判断する事をいいます理法を基準とした価値観であります。永遠普遍の価値観であります。この世の大自然の事実が事実をもって証明している価値観であります。

要するに、大自然という「生命の大親」の絶対的価値体系を大自然の理法(真理法則)をもって理性的に判断し、悟っていくことが理の判断であります。

この世は「種類分化の理法」でそれぞれが個有性を持ち成立しているのでありますから、互いに個を認めあい、尊重しあう事は理法に適したことであります。

人種差別や宗教宗派で互いに争い、けなしあうことは理法に逆らったことであり、間違いであります。自分が気にいらないからと、感情で相手を非難し否定する事は間違いであります

種類分化の理法が悟れたなら、人類は互いの生存を脅かす様な争いを止め、国家のエゴをここまでむき出しにせず、もっと平和の住み良い世界にすることが出来ます

「種類分化の理法」による「理の判断」

種類分化の理法」によって、この世は色々のものが、それぞれ個の特色をもって存在しています。色々のものを色々と味わう為に「生命の大親」は、色々と味わう為のもろもろの器官を授けられました。この器官とは、眼や耳や鼻、舌などの五感といわれているものであります。

眼は色々なものを、良く見分ける為の器官であります。眼の使い方が理に適っているなら、眼は、眼としての役割機能を増々良くはたすようになり、問題は起こりませんが、逆に理に逆らっている場合は、色々と障害が起こります。

例えば「あんな人は見たくない、会いたくない」とか嫁姑が互いに「顔も見たくない」などと見ることに対してマイナスの意識を常に持ち、眼の役割機能に対して否定的な心使いをしていれば、その様な精神波動が潜在的に意識の中に蓄積して、次第に肉体的眼の機能に障害が起きます。

耳に関しても同じ事であります。耳を使いより良く人様の言うことを聞き分ける事は、理に適った行いであります。

理に反した行いとは、自分が一方的いこじな固定観念(ステレオタイプのアイデア)をもち、他人の言う事には耳をかさず、がんとして自分の固定観念だけを押し通すような場合であります一般的に“つんぼのガンコ親父”といわれるのは固定観念によって、人の言う事に耳を傾けなくなり、耳の役割機能を失った姿であります。

お年寄りでも、耳の良く聞こえる人も居れば、聞こえない人も居るという差が出てくる理由は、耳の役割機能を十分に肯定的に使っているか、それとも否定的に使っているかによるものであります

私は絶対にお前の言うことなんか聞かないよ」とか「そんな事は聞きたくない」と言って、聞けることに感謝がなく、不足していると、耳は遠くなります。

この世は種類分化の理法によって、個々の特色ある存在によって成立しているのであるから、見分け、聞き分けを良くして差を認識しあって通る事が、理に適った生き方であります。

差を認め合うからこそ、調和を保つために更に大きな心へと人格の成長発展がなされるのであります

色々な個性の差を認識することにより、それを包含する為のより大きな、より本質的な考えが必然的に必要とされてくるのであります。この事が悟りであり人格の成長発展であります。

人生において、人が色々の困難な問題にぶつかった時、人は新たなる体験や認識を行います。新しい体験や認識は、自分の今までの考えを拡大し、人生問題を解決する為には、どうしても自分から脱皮して自分の考え、態度、行いを改善改良せざるを得なくなります。「苦労は買ってでもせよ」という事は苦労すれば、するほど、自分の成長発展に結局は還元されるからであります

このような理法を知識として身につけたとしても、或いはこの理法がああだ、こうだと色々のところで話したとしても、その様な生き方をしなければ本当の「生命の大親」を悟らなければ、その様な現象は現れないし、その様な理は働きません

真摯に「生命の大親」の御親意(みこころ)に沿った生き方が大変重要 になるわけであります


[PR]

# by shizennori1 | 2017-04-11 10:41 | 15.「種類分化の理法」
2017年 04月 10日

14.「出発発展の理法」

この親物質界を親創造された「生命の大親」の御親意(みこころ)によって、親設定されました大自然の親理(真理法則)の一つに「出発発展の理法」があります。

この理法は、大自然の基本的原理・原則であり、この世の全てを構成している絶対的な掟であります

親のこの親理を、人類は科学知識によって大自然の物理的側面からのみ捉えて、自然の物理法則として認識してきました。また、宗教では、自己の宗教の真理や仏法・道などとして観念的に捉えてきました。

この様な捉え方は部分的であり、表面的なものです。決して本質を把握したものではありません。

「生命の大親」の永遠普遍の貴き親理として悟る事が唯一の本質的捉え方であります。

宗教での真理や仏法などは、その宗教の真理や仏法がなくても、大自然の全ての存在や営みには何ら関係ありません。

大自然の大いなる生命の営みや存在に絶対に必要不可欠なるものの一つが「出発発展の理法」という親理であります。

この親理である出発発展の理法は、何人が気付こうと気付かざるとにかかわらず、好むと好まざるとにかかわらず、大自然のあらゆる全てを構成し全ての営みを行うために、何時、何処でも、誰にでも何にでも働いてい「生命の大親」の大生命エネルギーによる永遠普遍なる生命的な掟であります

出発発展の理法」は、この世のあらゆる存在・現象は時々刻々と常に新しい形状に向かって出発発展しているということです。つまり、この世は全てが常に変化しており、前の古い形や状態から新たなる形や状態になっていきますというのがこの理法であります。

昨日の自分と、今日の自分とでは一日分違います。「出発発展の理法」によって何事も常に昨日までの古い形や状態を脱皮して、今日は新しい形や状態に変化して行っているのであります。

「生命の大親」によって肉体的・物理的には常に変化発展しているにもかかわらず、自分の精神面だけが、何時までたっても自己のマイナスの観念から変化せずに停滞していたのでは、日々の生存の価値はありません。

その為にはプラスに向かって思い切った出発発展が必要であります。

生命の大親の御親意(みこころ)に適った出発発展することを観念の真転換といいます。自己の古いマイナスの観念を切り換えて、思い切った真転換を出発発展の理法に沿って行わなければなりません。

+の観念に真転換する意識(真性意識といいます)とは

Ⅰ.「生命の大親」の生命の子として生きる真念をもつこと

Ⅱ. 「生命の大親に永遠普遍に活かされているという生命の真実感を持つ

Ⅲ. 真成長発展の種としての事状身状があるということ                                                                    

Ⅳ. 親世界に活かされ生きているという生存の真感動がある

-の古い伝統的観念・伝統意識は停滞・後退・自己消滅への道であり

Ⅰ. 因縁・罪の子の観念 

Ⅱ. この世は苦の娑婆・相性が悪い・水子の霊が付いている・悪魔

Ⅲ. 宗教宗派・易等の人間の教えにすがる・現世御利益・世間体・この世的 

Ⅳ. 恨み・つらみ・ねたみ・憎しみ・そねみ・悲しみなどのマイナスの意識であります

この様にマイナスの意識からプラスの意識へ観念の真転換するのは、ちょうど、天動説を地動説のように、コペルニクスの観念の真転換をするようなものであります。

要するに「生命の大親」の御親意(みこころ)に適った観念の真転換を行い、マイナスの意識をプラスの意識へと出発発展の理法に沿った生き方をしなければなりません。



[PR]

# by shizennori1 | 2017-04-10 20:14 | 14.「出発発展の理法」
2017年 04月 10日

13.「平均調和安定の理法」

この素晴らしい親世界を親創造された「生命の大親」が私達をより良く活かそうとして「平均調和安定の理法」の理の世界を造って下さいました。

「生命の大親」がお造り下さいました「平均調和安定の理法」は、宗教宗派、人種、民族、年齢、性別、動物、植物の差は無く、誰にでも何時でも働いております。

「平均調和安定の理法」とはバランスの法則であります。

この親世界は、このような理によって出来ている世界で、この理に逆らった行いをすれば、より良く生きて行けないのであります。

「生命の大親」が、このような理法をもって造って下さっておられます。

しかし、このような理法を誰も悟っておりません。ましてや「生命の大親」の親御存在を誰もわかっておりません。もう本当の事をわかって生きていかねばなりません。

伝統的過古のことに、とらわれて生きている人は「利」ということで生きております。これは、利用という、得して用いるということになります。

これに反して、親理という「理」を用いることのできる人は、親理を悟った親性意識を持ったものしか、理用できません。悟ったものが行うと、その理が働きます

もし悟って無いものが、知識だけで実際の生活の中で、その様な生き方をしないで、まねしても理は、働かないのであります。だから普段の生活が大事なのであります。

この「平均調和安定の理法」というバランスの法則で、世の中治まっています。

例えば、地球が太陽の周りを回っていることも「平均調和安定の理法」であります。遠心力と求心力がつりあって、そしてまわっています。
この地球上の民衆の暴動も、安定するのにもバランスが取られるのであります。
呼吸だって、吸う息と吐く息とがバランスを取っています。しかし、バランスの理法がくずれると死ぬ前になると、吐く息が長くなり、吸う息が短くなっていきます。
内臓でも五臓六腑がバランスをとって調和しております。バランスが壊れますと下痢と便秘となってきます。
「平均調和安定の理法」がないと、胃腸の働きも肝臓の働きもバランスが崩れます。全部が調和で成り立っています。音楽でも、オーケストラでも調和で成り立っています。
夫婦間でも、ケンカして相手に言い過ぎてしまうと、今度は、ご機嫌をとろうとします。

今はバランスのくずれた世界になってしまっています。自分の気持ちだけで通ったり、自分の考えだけで通って行きますとバランスが崩れることになります。

自分の気持ちだけで結婚すると後は、いやとなります。恋愛結婚で、結婚しますと、そこに親理の意味がわからずにいますと、我慢しなければならなくなっていきます。

今の地球人みたいに、物、金、地位、名誉などに執着した生き方をしていますと
バランスを崩してきます。つわりも母親と子供のバランスを取ろうとして、つわりがあるのであります。つわりのひどい時が、バランスの壊れていることをとくに現しています。
現在の地球人は、心のバランスが崩れてきています。人間関係、友人、知人、親子、兄弟、姉妹、会社の同僚、上司など、いろんなところに現れています。
自己中心の生き方は、調和が崩れていきます。家の中、様々なところで、気持ちのバランスがくずれてきています。

物事の全て、子心でありますとうまくいきません。してもらいたい人はその様になりません。子供の気持ちが荒れますと、その分、先生がバランスを取らなければならなくなってしまいます。

親理を学んだものが、相手の気持ちを抱えて通っていくようにしないとバランスが取れません。

これは親理を理用して実際にプラスの現象を実生活に現して生きていくのが、親理を実践した姿であります

こういう意味で「平均調和安定の理法」を用いるということであります。

この世界は全て「平均調和安定の理法」であるバランスの法則が働いております。

プラスをした分プラスの現象が起きます。逆にマイナスをした分マイナスの現象が起きます。当然の如くバランスが働くからであります。

どうしても他の為に役にたつ「平均調和安定の理法」に沿った生き方をして、素晴らしい生存の一生を送らなければなりません。



[PR]

# by shizennori1 | 2017-04-10 20:12 | 13.「平均調和安定の理法」
2017年 04月 10日

12.能動変化の理法

私達が住んでいるこの大自然界における全ての存在や現象は、自分の方から他に働きかけるという能動的意志の「能動変化の理法によって、時時刻々と親化発展しています。

この大自然界において、常に親化発展していないものは、存在しえないということになります。

大自然界におけるあらゆる変化・現象の根源は、全て能動的な意志の働きによってなされています。何かしようと思う意志があって、そこに変化発展していくことになっています。


能動変化の理法とは、大自然界の全ての現象・変化の根源的な力と働きであります。

この世界の全ては生命の大親御自親の貴き能動的意志でありますお力お働きによってなされています

私達を活かして下さっています生命の大親能動的意志でありますお力お働きによってして下さっておられますから、私達、派生的部分であります生命の御子らも自己の能動的意志をもって、全ての運命・環境を変化発展させることが大切であります。

私達を活かして下さっています「生命の大親」のお力お働きを頂く為には、自らの能動的意志による積極的努力が必要であります

能動変化の理法」とは、自己の本質であります生命そのものの理法であります。生命の本質とは、生命のお力お働きであり、生命エネルギーそのものであります。

生命とは常に何かをしようとする能動的意志の力と働きでありますから、生命ある全ての生命の御子が、自己の運命・環境を積極的に、より価値ある生き方に向かって努力し続けることが、生命の本質に叶った生き方であります。

私達を活かして下さっています生命の大親は、能動的意志によって自らの運命・環境をよりプラスの方へと努力する生命の御子にプラスの親化発展のお力お働きをお与えて下さいます

人間社会でも、会社において役職を頂いた課長、部長に、部下を纏める力のあるものに、そのことが出来る役職である力を与えることと同じであります。

この事を現している諺に天は自ら助ける者を助ける」「意志ある所に道あり」「求めよ、さらば与えられん」「一心巌も通す」「精神一到火もまた涼しなどがあります。

能動変化の理法」とは、能動的意志による積極的生命力の使用によって、そのような変化、発展が行われるという理法であります。

この世の全ての物事は生命の大親御自親の「能動変化の理法」によって常に親化発展しています。

こういうことから、「生命の大親の生命の一部を頂いて、霊的肉体的に活かされ生きている全ての生命の御子らも自己の本質であります生命の力と働きを積極的に使って、「生命の大親の御親意(みこころ)に叶った素晴らしい生命活動を行い生命の本質に叶った価値ある人生を送らなければなりません。


[PR]

# by shizennori1 | 2017-04-10 20:07 | 12.「能動変化の理法」
2017年 04月 03日

※西郷南洲翁遺訓

e0319080_19070092.jpg
e0319080_19084562.jpg
西郷隆盛(南洲翁)の到達した意識
e0319080_18530236.jpg
e0319080_19283207.jpg
西郷隆盛(南洲翁)の心得のある生き方

[PR]

# by shizennori1 | 2017-04-03 11:27 | ※西郷南洲翁遺訓
2017年 03月 29日

11.「生命の親」の御存在

大自然界には自然界の大きな大きな生命の営みがあります。そこには、宗教宗派だとか、人種区別とか、動物とか、植物という差もありません。そこで私達は、生命を頂いて誕生させて頂きました。この大自然の大きな営みによって、寝ている間も心臓が動き、こうやっている間も一秒間、一秒間5000万の細胞が生まれ変わっています。これが大自然界の事実であります。

また、細胞の生まれ変わりによって、垢が出てきます。これも新陳代謝によって自分の皮膚を守ってくれた細胞の一つ一つの生命であったはずであります。全生物がこの生命の営みによって生かされております。このことは、いつでも、どこでも、誰にとっても、何にとっても、本当に大事なことであります。

私達が活かされ生きることには、宗教宗派も、人種も、民族も、動物、植物も関係なく活かされております

この大自然の大きな営みには、形がありません。しかし、この形がなくても、その力と働きはあります。エネルギーといっても、生命力といっても、生命エネルギーといっても、それは大きな生命の営みです。この生命エネルギーを頂いて、新陳代謝や血液循環をして頂いております。私達も、この大いなる生命の一部を頂いて活かされ生きております。つまり、大自然の事実から言いますと、私達の生命が活動している姿、生命活動の姿と言えるのであります。

そうすると大自然の大いなる生命は、これだけの大きな大きな生命の営み、つまり、大いなる生命活動をしていて下さっています。その内容というとは、全生物に生命を与え、全生物を活かしているという大きな生命活動をしていて下さるということになるわけです。

本当は、宗教宗派じゃなくて大いなる大自然の生命のお力お働きがありますということそのことを意味したのであります。

だから、形ないから釈迦が「色即是空」と空と言い、キリストが「天にまします我らが父よ」と言ったので、本当は、形ない大いなる生命の力と働きですよという意味がこの様になったわけであります

そうすると、この大いなる生命は、全ての生命あるものに生命を与えています。だから、生命の元といえます。私達が子供を産んだら、親というのは、我が子を通して生命が与えられたわけであります。そうすると、この大自然の大いなる生命というのは、全生物の生命の大親ということになります。そこで自然の生命の大親であることから大親である大生命ということになります。

この「自然の大いなる力と働きである大親である大生命のお力お働きは、なくてはならない必要不可欠なものであります。この力と働きがなければ、全てが成り立ちません。

この様に大自然の事実に鑑みて、誰にでも共通普遍のこととして考えていくと大親である大生命」が自然の創造主と言うことになります。
地球を回し、血液を循環させ、新陳代謝をして下さっているのは自然の創造主がして下さっていることになり、人間がしていることではないから、あえて表現すると、「生命の大親」ということになります。しかし神様の名前ではなく意味であります。いわゆるパパとかママと言う概念になります。そうすればお互いに宗教宗派で喧嘩する必要はないはずであります。誰にでも当たり前のことになります。

人間の作った宗教宗派は、自分たちの拝んでいる神様が違うと言って喧嘩をしています。神様を、キリスト教では、天なる父といい、仏教では空、大日如来といい、イスラム教では、アラーといい、ユダヤ教では、エホバといって、歴史的にお互いに殺し合い憎しみあって来ました。人間が勝手に作った神様が違うと言って争ってきました。そのような神は存在いたしません。

の本質は宗教宗派を越えた誰にでも当てはまる共通普遍なものであります

この事が判りますと
「生命の大親」から見ると私達は生命の御子ということになります。そうすると生命の親子となり、全生物が生命の家族ということになります。
そしたら、生命に宗教宗派も人種差別も動物植物の差もありませんということになるわけであります。 このような考え方になると、そこには生命の愛があり、助け合って生きていくことになるわけであります。こういうことをどうしても悟らなければなりません。真実であるからであります

だから宗教は、集狂(しゅうきょう)であり、事実に違反していることに気が付いていません
私たちは皆、同じ力と働きを頂いて活かされ生きております。


[PR]

# by shizennori1 | 2017-03-29 17:48 | 11.「生命の親」の御存在
2017年 03月 17日

10.運命を良くする生命霊財産(徳)②

「生命の親」が生命そのものにつけて下さっている運命財産・徳の事が生きて行くのに大変重要なことであります。素晴らしく生きていくのに この事が分かって生きて行かなければなりません。
それに己の意識を高めるのには知性・理性・感性を更に高めていかなければなりません。

「生命の親」よりお授け頂いた誠に貴い親理をここに伝えさせて頂きます。
お授けを頂いて、教えて頂かないと何一つ分かりません。自分の持っている意識には無い意識であるからであります。

     徳積みの理

とは「生命の親」が保証して下さった生命的クレジットカードの如きものであります。
「生命の親」の生命的保証カードは通用範囲が広く大自然の全ての事柄に通用します。

何日何処で誰にでも何にでも通用し自分が願った通りの運命や現象を現す事ができるという
「生命の親」の生命的クレジットカードは 永遠普遍に価値あるものであります。

という形而上的クレジットカードは大変便利なものでありますが便利だからと言って使いすぎるとの取り過ぎとなり天の差し引き勘定がなされます。

生命的徳の保証カードは1回使用する毎に自己の天の徳の貯蓄は減っていきます
の貯金が無くなりますと不徳人となります。
人間の金を貯金するところは銀行でありますが徳を貯金するところは生命的次元の世界であります天の金行であります。

〝汝ら心して天に徳を積め〞とキリストも天国への徳積を教えていった。

不徳な者がこの地上での金や宝物財産を持つとかえってこれらのものに執着し失う事の不安と増々物質的現世的なものにとりついて霊的観念波動が欲望の奴隷となっていく
やがて消え去っていく物質界の現象に囚われた霊魂となって地上での金や物や権力を持った事がかえって霊的災いの種となりマイナスとなります。

凡そ大宇宙 物質現象界の全ては生命の御子らの霊的成長発展の為に創造されたものであります。
地上の全ての物事は 他に対して役に立ててこそ真価が発揮されます。
金も物も肉体も心も 霊的観念波動も 生命力も 役割機能の原則に沿って使用してこそ価値があります。

「生命の親」の御親意に沿って他の為に役立ててゆくことが徳積であります。
「生命の親」の親理のお力お働きによって創造された世界に
「生命の親」の生命の一部を生命の御子として頂き 親の理によってこの世に活かされ生きているのが全生物の姿であります。


この世で得る全てのものは 元来「生命の親」より与えられたものであり 徳積とはこの世の物事をどれだけ多く 「生命の親」の御親意(みこころ)に沿って役立てる事ができるかということであります。
それ故に 金や物や権力を自分のためだけに取り込んで執着していたのでは増々不徳な者となります。
金や物や権力など自分のために取り込んで欲望の奴隷となった者は自己の霊的段階を下げて生命的原動力の徳を失い 下位落するものであります。
己の魂を売って世俗の快楽を得たというゲーテのファーストと同じことです。
蛸が己の足を食べ目先で食欲を満たすのと同じ事であります。砂漠で喉が渇いたと言って持っている水を全部飲んでしまうのと同じ事です。
一時的満足はありますが砂漠を渡りきるまでに最も大切な生命を失う事になります。

物質文明におぼれている現代の人類は目先で物を得て己れ自しんのと自己の霊的段階を下位落させているです。

地球という自然資源に限りがあると判っていながら増々物質的豊かさのみを追い求め      
人口を増加させていっています。


「生命の親」
の御親意に叶い他にプラスを行った種が自ら徳として帰ってくる
この事が
徳積の原理であります。


情けは人の為ならずという諺があります。 他の人のために行った善行は結局自分自しんの大いなるプラスとして循環してめぐってくるという事であります。だから人のために情けをかけた事は人のためではなく むしろ自分自しんのためなのだという意味であります。これを循環の理法というのであります。
この世の全ては循環の理法によって成り立っています。
大宇宙もすべてが循環しているのであります。

他にプラスを与えた行いが種となって 自らにプラスが返ってきます。
他のためにプラス行わずして 神仏に願ったとしても絶対にプラスは自分に返ってはきません。
種を蒔かずして米を生やす神仏などはどこにも居ません。
原因なくして結果はないのであります。 
これは

「生命の親」
の絶対的な親理(真理法則)であり 必要不可欠な理法であります。
麦を蒔けば麦が生え 柿をまけば柿が生える
全ての事は種通りに増えて 結果として戻ってくるのであります。


「生命の親」の親理のお力お働きは正確無比であり循環の理法は絶対であります。

行いの種がプラスであれば絶対プラスが返りマイナスならばマイナスが生えてきます。
種まかずしてしては何事も生えてきません。
日々プラスの種をまいていく徳積を 日々おつなぎといいます。
日々 親理のお力お働きによって活かされ生きて居ります。

生命の御子らの全ての生命を代表してその感謝と喜びを「生命の親」にお受け取り頂き
真性地球親化発展の為に役立つ最大の徳積の理
日々のおつなぎであります。


この地上の全ては生命の御子らが徳積を行い生命的霊的自己の本質を向上発展させる為の材料であり 金は徳積のための材料であり 物も材料であります。
肉体も心も才能も全て徳積を行うための材料であります。

自らが自らの自由意思で使用できるものは全て役割機能の原則に沿って役立て徳積を行うための材料であります。

真性地球親化発展に役立ってこそ自己の存在価値が高まり増々向上発展します。
日々のおつなぎを行って徳を積んでこそ自らの事情身情も見事に親御守護頂けます。

徳積を行って事情身情諸々の願い事などの親御守護を頂いた場合は人生の充実感と生存の価値が一段と高まり霊的観念の向上発展と生命力の開発が更になされていきます。
おつなぎとは親縁をつなぐ理であります

「生命の親」と真性なる意識の悟りにより生命の御子として生命的親縁で直結されたものである証明であります。


◎この物質現象界で徳の事について表した記述があります
 松下幸之助の遺した言葉として徳行というのがあります
 
 徳行
人間としていちばん尊いものは徳である
だが徳は、教えることも習うこともできない
自分で身につけるしかない

   松下幸之助は、いくら知識やお金や、そのほかいろいろなものがあったとしても、
徳がなければそれらは生きてこないと考えていましたが、次の言葉は、ある青年から、
「徳を高めるにはどうすればいいのですか」と問われて答えたものです。

 それは私のほうが聞きたいな。私自身がいちばんそれを知りたい。むしろ、君から教えて
欲しい。こっちで聞きたいくらいです。
 しかし、徳というものは、漫然としているけれども、何よりこれがいちばんの宝でしょう。
技術も大事だし、学問も大事だけれど、徳を持たずして学問も成り立たないわけです。だから、本当の学者というのは、非常に徳の高い人でしょう。
仮に、高徳の聖といわれるようなお坊さんがいたとするでしょう。その弟子が五人いるとしたら、その五人が五人とも高徳のお坊さんになるというものではないわけです。なかにはお師匠さんに反対する人もあるし、いろいろ出てくる。だから、いかに高徳のお坊さんでも、それを人に教えることはできない。やはり、〝これが人の道だな〞というものを自分で探し求めて、悟るしかないのでしょう。その参考にいろいろ教えを聞くということはいいわけです。いま、きみは参考に聞いているのだと思いますから、参考に話をしてあげられたらいいのですが、私もはっきりいってまだ分からない。今、求道中です。
 〝君が徳が大事である.何とかして徳を高めたい〞ということを考えれば、もうそのことが徳の道にはいっているといえます。しかし技術は教えることも習うこともできるけれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。御釈迦さんでも修行して、いかに艱難辛苦しても、悟れないときは悟れなかったわけです。悟れるときは何の苦労もせずに悟れた。
私が思うには、御釈迦さんは終始一貫、〝悟りをひらきたい。この宇宙というものについての道を知りたい〞という要求だけは強かったわけですね。死にかけて、倒れて気絶するという瞬間でも、それだけは忘れずに求めていたのだとは思います。それで、菩提樹の下でほっと悟りをひらいた。
そんなもんですからね、君がそういうことを考えることはいいと思うし、私に質問
していることも、その過程を踏んでいるわけです。だから、そういう心がまえでやっていってください。
私もしっかりやるから。

[PR]

# by shizennori1 | 2017-03-17 17:07 | 10.運命を良くする生命霊財産(徳)②
2017年 01月 14日

9.運命を良くする生命霊財産(徳)①

これより述べさせて頂く生命的財産(徳)のことを是非分かって頂きたいです。しかしこの様な事が分からないで生きても何ら価値がありません。どんなに知識をいくらもったとしても、知ったとしてもがないと何にもなりません。

私達をこの世に活かして下さっているという「生命の親」が生命そのものにつけて下さっている運命財産・徳のことをしっかり悟らなければなりません。は目に見えません。

私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」とは自然界をお創り下さっている創り主そのものの御存在であります。

人間のいう宗教宗派には一切関係ありません。生命そのもののことであります。

何故なら宗教宗派を知らなくても動物は活かされ生きて居ります。
だから、生きる事に、宗教宗派は関係ないことになるのであります。

その上でどの様に生きたらよいのかと言うことになります。
「生命の親」が私達の生命につけて下さっておられます徳の事が非常に大事になるのであります。

徳とは、生命そのものについている運命貯金・運命財産であります。このことを悟って生きていかなければなりません。

   お供えの理

お供えとは、自らの備えの事であります 運命環境が増々良くなるための備えの事であります。
大自然に蓄えた運命貯金の事であります。 永遠普遍の無形財産の事であります。 自己の生命的本質となった生命的財産の事であります。

私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」が認めて下さった永遠普遍の無形財産の事であります。

私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」親理のお力お働きにより 如何なる現象も変化も可能ならしめる創造的能力の財産であります。

この無形なる永遠普遍の生命的財産をといいます。

とは 私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」が認めたものであります。大自然の全てに通用するものであります。
生命界(生命の世界)・霊界(意識の世界)・物質現象界(形ある世界)のあらゆる事柄に通用するものであります。

生命力の増強も 霊的向上発展も 運命の開発も 人生の充実も社会的肉体的向上発展も 全てという無形財産によってなされます。 とは全ての原動力であります。

金は人間が認めた社会的財産であり 人間が認めている範囲でしか通用いたしません。
人間によって創造された金は 人間がその価値を認めなくなれば もはや金として通用しなくなります。
徳に比べれば金や物が如何に多くあったとしても 自己の運命には通用いたしません。

運命環境を良くする力は生命的財産である徳にあります。

とは私達をこの世に活かして下さっているという「生命の親」が自己の生命的本質に与えて下さった永遠普遍の財産であります。

という生命的財産がなくなると たとえ老後のために社会的財産である金や物を如何に沢山たくわえておいたとしても 老後の運命環境が悪くなり 不慮のマイナスの出来事が次から次と起こり たくわえた金や物を失う結果となり不幸で孤独な生涯をとじる事になります。
人間は何日何処でどの様な事故にあうか病気になるか予測できません。
あるいは又 どんな素晴らしい出来事にあうかの予測も出来ません。

プラス・マイナスの出来事は運・不運であり 運・不運は徳・不徳によるものであります。

徳人はたとえマイナスの出来事にあったとしても その事がかえってプラスの結果を生む事になります。

災い転じて福となるのが徳人 災いが更に災いの種として増々不幸になるのが不徳人であります。

徳人は子孫に美田を残さず 
という永遠普遍の生命的財産を残す
不徳人はを残さず 美田を残す

猫に小判という諺があります。
猫に小判の価値は理解できず 不徳人の価値を理解する事はむずかしいのであります。
子孫に美田を残しても がなく不運であれば結局全てを失ってしまう結果となります

の価値と貴さを理解できるのは徳人なり

徳人は永遠普遍の生命的財産であるの価値と貴さを理解できるが不徳人には理解できません。
それは猫に小判の価値がわからぬのと同じことであります。
私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」が認めて下さった真性なる生命的財産であるの価値と貴さを理解し悟ることは人間にはむずかしいのであります。

真性を開発した生命の御子であるならば、それは容易であり、当然な事として徳積ができます。即ち 真性なる意識と人間的目先の意識の違いであります。

真性なる生命の意識は 永遠普遍の生命本来の財産である徳を求めます。
物質現象界の人間の意識は今生だけの目先の社会的欲求だけを満たそうとするのであります。


私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」が認めて下さったという価値と人間が認めた金という価値の相違を判るのが生命の御子であります。

真性を開発した生命の御子は徳積みを行って最高最善の備えを行うことになります。
人間は金という社会的第二次段階の価値の備えしか判らないのであります。

人間は老後の備えしか考えないが真性を開発した生命の御子は霊的意識に戻った世界の事 更に又 再び肉体を与えられてこの物質現象界に誕生する来生 再来生のこと迄を考慮して永遠普遍に通用する備えを行うのであります。

今世 この世に生を受けて誕生した事も 今日まで活かされ生きてきた事も種々な運命や環境が与えられてきた事も 全てが大自然における私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」のお力お働きの賜であります。

私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」の親理のお力お働きを無視して人間考えで老後の備えを行う事は幼稚園の子供が親の愛の力と働きを無視して自分の小遣銭をためて生きてゆこうとするが如きものであります。

自分を育ててくれる親の力と働きを無視しては生きて行けません。同様に
私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」の大自然のお力お働きを無視しては全生物の全存在はあり得ません。

今生の老後だけの金銭的物質的備えは自己の本質的備えとはなりません。
しんの本質的備えとは 自己の生命的向上発展と霊的観念の高まりのために
永遠普遍の生命的財産であるを積むことであります。

大自然の全ては私達をこの世に活かして下さっているという「生命の親」の親理のお力お働きによって成立し営まれています。

とは 私達をこの世に活かして下さっているという「生命の親」 の親理のお力お働きをどれだけ自由に使用させて頂けるかという分量であります。
あるいは どれだけ自分の望みを達成させてもらえるかという分量であります。


が十分に備蓄されているならばどうしてもこの様な運命になりたいと願えばその様な運命として現れるのであります。
良縁を望めば良縁となって現れる。 仕事を望めば望んだ仕事が与えられる。 どうしてもこの病気を治してもらいたいと願えば病気がなおることになります。 一般世間の人間考えではそれを奇跡と呼ぶが それは決して奇跡ではなく「原因結果の理法」にかなった当然の結果であります。
誰でも理にかなって行えばできることであります。

運が良かった悪かったとか間が良かった悪かったという事は全て徳・不徳の結果であります。
徳人であれば如何なる人生を通ろうともその人生を味わいある喜びと感謝の生涯とすることができます。
人生を充実させ自己の霊的観念の高まりと「生命の法則」に沿った向上発展を行うことができます。
不徳な者は如何に恵まれた運命や環境であろうとも不足不満の苦しみの人生を送る結果となってしまいます。

物質的に多量の消費を行い豊かに恵まれている筈の現代人が生存の喜びや感謝の念を持つ事ができずむしろ不足や不安感を抱いて暮らしているのは不徳なるが故であります。

不徳な者は如何に物や金があろうとも喜びと感謝にあふれた人生を送れません


不徳な者は如何に素晴らしい人間関係や環境が与えられようとも それを素晴らしいものとして受け取ることができず、むしろ不足と不満で通ることになります。

徳とは人生を如何に幸せに通れるかを決める本質的要因であります。

[PR]

# by shizennori1 | 2017-01-14 18:56 | 9.運命を良くする生命霊財産(徳)①
2016年 12月 30日

8.有意味行為の原則

この素晴らし親の世界を親創造して下さっている「生命の大親」がより良く生きて行く為につくられた「有意味行為の原則」という原理・原則があります。

私達を活かして下さっておられます「生命の大親」の存在は、決して宗教宗派でいう神様ではありません。誰にでも当てはまる共通普遍の「生命の大親」であります。この様な「生命の大親」が存在しないと、この世が成り立たなくなってしまいます。必要不可欠なる存在であります。

しかし、宗教宗派の神は、その宗教を信じて行っている人達にだけしか通用しない神の概念であるからであります。こういう神の概念は、狭い概念であるからであります。この様な神の概念では、人種・民族・宗教宗派の対立を生みだします。

ここで言う親の概念は、宗教宗派に入っていようが入っていまいが、その宗教宗派の神の存在があろうとなかろうと一切関係なく、私達の心臓は動かされていますし、動物の心臓も動かされています。更に活きとし生きる全ての生命は、動物植物の差も無く活かされています。この親の概念は、宗教宗派を超えて、ありとあらゆる存在に通用しています。人間の意識をこえた存在であります。自然界にはその意味の言葉がありません。神様というと一宗教宗派の事となり正確ではありません。
何故なら宗教宗派の神の存在をしらなくても生きているからであります。

生命(いのち)には宗教宗派はありません。

何故なら、心臓を動かし血液を循環させ、新陳代謝をしてもらっている力と働きには動物・植物などの差は一切ありません。全て活かされ生きております。何の宗教をしておろうとも一切関係ありません。皆、同じであります。

何人であろうとも、男性であろうとも、女性であろうとも、皆等しく活かされ生きて居ります。

このような事について、概念が無いために、かってに宗教・宗派を作り神様が違うと言って争い、対立してしまっています
本質は何かといえば生命そのもののことであります。


生命には宗教宗派が無いことが事実であります。事実が一番大事であります。

だから、親の存在は、何人が知ろうと知るまいと、何人が気付こうと気付くまいと、好むと好まざるとにかかわらず、いつでも、どこでも、誰にでも、何にでもあてはまらなければなりません。

この様な存在であります自然を創っている「生命の親」がより良く生きて行く為につくられた意味行為の原則というのがあります

例えば、電車に乗る時に、誰かの病気のお手伝いをしに行く為に電車に乗った時と、誰かと喧嘩をする為に電車に乗った時と、その電車を降りた後の価値が違いますよということであります。
電車に乗っている行いは同じであります。しかしその中身が違います。

だからよく職人さんが物をつくる時に、魂をこめて作ったときと、適当に作った時と、その見た目は同じように見えても中身が違うということになります。

料理を作る時も、ただ機械的に作った料理と、美味しく食べてもらいたいと一生懸命に作った料理とは味が違います。これが中身が違うという事です。

同じように、この親世界を素晴らしく感動的に、より良く生きて行くのか、それとも、この世は苦の娑婆だと、悪の世界だと、面白くない因縁の世界だと生きて行くのか、同じ生きることについてもプラスの生き方をするのか、それともマイナスの生き方をするのかという、その生き方の中身が問題であります。

同じ生きるのにも「生命の親」は素晴らしく生きて行くことを望んでおられます。これは当然のことであります。

食事をするのも、美味しく食べることが本質であり、美味しくなく食べることが本質ではありません。だから何も苦しく生きる必要はありません。素晴らしく生きていくべきであります。その為には他の為の生き方をすることにより徳積の生き方をしないと、つまり、いいことをしないとその様な生き方は出来ません。

最終的には徳の問題であります


[PR]

# by shizennori1 | 2016-12-30 19:39 | 8.有意味行為の原則
2016年 12月 24日

7.③知性・理性・感性

理性的判断で作り上げていったものが宗教、倫理、道徳であります。理性的判断力をずっと判断する能力で作り上げていったものを宗教といいます。一つの価値観を、価値の体系を作っていったのであります。
しかし、お互いに、これが大事だ、あれが大事だと、資本主義だ、共産主義だと価値観が違う事で喧嘩をするのであります。

そこで価値観をどうすればよいかということになります。このことから人間の作った価値観ではなく
大自然の事実の価値観にしたら問題はなくなるのであります。

生命には宗教宗派も、人種差別もありません。生命の尊厳性という事から、草木一本でも大事であります。
麦とか米が枯れて全部なくなったら生きて行けません。全ての生き物は生きていけなくなります。
如何なる生物の生命も大事であります。

お互いに生命をより高めあっていくことが自然の価値観であります。

自然と言う作り主がとすると自然が与えて下さっている我々の生命はということになります。こういうこと事実を踏まえて、そこに素晴らしい生き方があるのだなというプラスの判断をすることであります。

結婚だって、出会いだって、
自然と言う作り主のがしていて下さっておられます。
心臓を動かして下さり、寝ている間も血液を循環して下さっておられます。
自然の大きな生命の力によってしていて下さっておられます。

こういう理性的な判断が出来たら、生きる生き方がずっと高くなります。

知性理性を無意識に使うのではなく、今度は意識的に感動を高めていくことであります。
どんな相手であっても、こちらが本当にプラスの実感を持ち、本当にプラスの意識で接すると如何なる人間関係も解決していきます。

アメリカや諸々の国々がお互いに敵対心をもって接しています。これでは永遠に争いは無くならないでしょう。科学が発達しただけ敵対心をもてば、攻撃兵器は、ますます、ひどい殺人兵器となるのであります。

人類の中に愛を持たないで敵対心や憎しみを持ったときには、永久に解決にはなりません。そうすると生きる事が喜びではなく悲惨となります。
マイナスの意識で会社に行ったらいやであります。いやだって一日生きるのであります。
感性がプラスでありますと、相手のいい点を見て、或いは生きる喜びの方を見て、あゝこれは素晴らしい生きる喜びだと判断するでしょう。そしてそう判断すると気持ちがそうなるでしょう。
どちらの気持ちを掴むかは自分次第であります。次第と言うことになります。

知性という知る力を使って開発していったものを科学といいます。

理性を、つまり価値判断する能力を使って人類が開発していったものが宗教・倫理・道徳であります。

感性を使って開発していったものが芸術であります。

でもそれは大自然という事実があるからであります。例えば、バラの花の絵あったとします。バラがないとバラの絵は描けません。
人生がなかったらどんなドラマもかけないのであります。

そうすると、どちらが元といいますと現実が元であります。
自然が活かしてくれている人生が元であります。この元を良くしなければ人間が、その能力を使って開発していった、科学、倫理、道徳観、芸術も良くなりません


元の方が大事であります。元の方を良くするためには、その元を与えてくれているのは自然そのものであります。つまり、自然とは生命を与え活かしてくれている「生命の親」であります。
このことは生命そのもののことであり、どの人にも通用することであります。

どの宗教宗派でも、どういう年齢でも、男女をこえて動物・植物に関係なく全てに通用する事であります。
「生命の親」に生きる感謝をして、知性・理性・感性を高めて地球の為に、より良い生き方をすることが大事であります。


[PR]

# by shizennori1 | 2016-12-24 20:20 | 7.③知性・理性・感性について
2016年 12月 23日

6.②知性・理性・感性について

知性---事実を知る力、事実を認識する力であります。事実を事実として認識する力を知性といいます

知性
という能力を使って大自然の事実を事実として認識した。これが科学であります。

理性---事実を価値判断する能力をいいます

ここにプラスチックでつくられたリンゴがあるとします。これは食べられない。この様に事実として掴んで食べられないと判断したら、これを理性といいます。私達は、毎日判断しています。

理性として何がプラスであるか、何がマイナスであるかを判断しています。買い物に行って買おうか買うまいかと判断しています。人に会って挨拶するかしないかも判断します。

防衛庁の事について言いますと、現在、まだ意識が低い為に争う考え方しか持っておりません。
助け合う親の意識がありません。
もし、武器なしにロシアの軍隊がアメリカの中西部の砂漠地帯を緑にしたり、アメリカの軍隊や日本の自衛隊がシベリアを開発したらどうでしょうか。お互いに助け合う事が出来るのに!!

ところが、お互いの敵対心というこの意識、理性が低いから、わざわざ科学の力で人類を滅ぼしてしまうような、人類破滅のような事をやっています。

理性が低いとお互いが殺し合うような事をやってしまうというのであります。知性で原爆をつくれるとか、原子力を使えると判っていても、理性が低いとマイナスをやってしまいます。だから、理性を高めなくてはならないのです。

金儲けの為に何をやってもかまわないとか、自分の妻や夫を、また子供を殺してしまうとか、理性が低いと今日一日通るのにマイナスで通ってしまいます。

理性が低いとせっかく一緒に幸せに通ろうと思っていても、夫婦で仲たがいして通ったり、親子で対立して通ることになります。また、自分の知識を親と喧嘩して通るため使う場合があります。
理屈を言う為、人間と人間が、親子や夫婦、兄弟、家族で対立するために知識を使っても何にもなりません。
また、人類滅亡の為に、科学を使っても何にもなりません。理性を高めないと生きる価値を見出さないことになります。価値判断する能力を
理性といいます。

例えば、目に見えないものまで価値判断すると掴むことが出来ます。リンゴが落ちたという事から、万有引力の目に見えない法則を掴んだという事があります。同じ様に、自然が自分に生命を与えてくれているんだなと、生命は目に見えないエネルギーであるなと・・・・・・
そうすると自然という親が自分に対する愛情をもってくれているのだなと!!

自然の大きな生命の愛が働いて、私達全ての生命あるものに生命を与え活かしてくれているのだなと言うふうな感動を持つことが出来るのだなと判断したら、そこへ感性と言うものがあります。

感性ーーー感じる力、存在の感じる力をいいます。理性的にプラスに判断することが出来た時に感性がプラスになります。

理性を高めると生きる喜びと感動が違ってきます。

どの様に感じるかで、顔つき、雰囲気、言葉、行動が違います。

知性・理性・感性を総合的に生命の力として与えられています。プラスに使えば、生き方自体がプラスになるのであります。この三つはバラバラには働いていません。総合されています。

[PR]

# by shizennori1 | 2016-12-23 19:47 | 6.②知性・理性・感性について
2016年 12月 03日

5.①知性・理性・感性について

物の考え方について、どのように考えていけば素晴らしく生きて行けるのでしょうか?それは、意識がプラスにならなければならないという事です。食事をするときも美味しく食べたほうが良いのであります。それは美味しさを意識して食べるからです。同じ様に今日一日生きるのに素晴らしく生きているのだという、実感を持ったらいいのではないでしょうか。旅行に行って良かったという気持ちを持つことが一番大事ではないでしょうか。 

仕事でもやりがいがあるといったら価値があります。しかし、つまらないと言ったら価値がありません。
要するに意識の違いであります

或いは結婚する人たちは、あの人は素晴らしい、結婚したいと言います。しかし、結婚した、素晴らしいとしたその結婚の幸せ感が何年続くのでしょうか?4~5年すると感動がなくなります。

趣味で、釣り、ゴルフを長くやっていると味わいがあり、面白くなるのです。落語でも長くやっていると面白くなるのが本来の姿であります。
それなのにプラスの気持ちで結婚したのに、長く暮らせば暮らすほど感動があるはずなのに、そうならないのは、どこか狂っているのではないでしょうか。結婚した時、最初は喜びであったはずであります。これが10年、20年したらどうなるかという問題であります。ずいぶん意識が違うのではないでしょうか?

意識と言うのは,私達が、自分の能動的な意思で努力しないと、ずっと高めていく事が出来ないのであります。

本当は、小さな子供、若者達よりも、より長く生きたお年寄りになればなるほど、長く生きたベテランですから生きる喜びと感動が多い事になるのが本当の姿ではないでしょうか。

そこで自分の気持ちをいかにプラスにしていかなければならないかという事が大きな問題であります。

食べて美味しい、着物を買ってきて喜ぶ、結婚して幸せと思う、旅行もプラスを求めて、要するに幸せを求めての行動しかないのであります

結婚も、したばかりの時は、お互いに譲り合いますが、長くたちますとお互いに思いやりが無くなり、愛の精神が無くなってしまいます。だから意識が違ってくるという事になります。
私達の意識をよりプラスにする為に、自然界は私達一人一人に生命の能力として知性・理性・感性をお与え下さっています。
生命の力としてより良く、より幸せに生きて行こうとします。
「生きるとは生命活動の姿であります」つまり生命が活動している姿であります。

生命は、三つの能力を持っています。それが知性・理性・感性であります
知性・理性・感性はその人自身が持っている意識そのものです。

意識の中に知性・理性・感性を持っています。この意識を高めなくてはなりません。

意識を高めなくてはより良く生きて行けません。常に向上する気持ちが重要です。

この事が徳を増やす生き方になるのであります。


More
[PR]

# by shizennori1 | 2016-12-03 19:39 | 5.①知性・理性・感性について
2016年 11月 18日

4.徳積の生き方と不徳な生き方の相違

どの人も目には見えない徳と言う運命財産をもって生活をしています。この徳によって生き方が変わってきます。
例えば借金をしている人は、借金している分だけの不徳があります。
500万円の借金のある方は、500万円の不徳があります。
本来ならば、生き方がプラスの生き方をしてプラスの現象を得ることで悟るべきであります。
しかし、マイナスの生き方をして不徳を生じています。これを悟りとは言いません。あくまでプラスの行いから起きてくる事のプラスの現象を悟りといいます。

具体的に言いますと            目に見える世界                         目に見えない世界
                         形ある世界                             形ない世界
                         親物質現象界                           親命霊界
  
                         不徳の状態                             不徳の状態                     

e0319080_16593211.jpg
イ図の500万円の借金を返しても不徳の穴は埋まりません。
ロ図の不徳の穴を埋めながら借金を返済しなくては解決にはなりません。
ロ図の不徳の穴を、言葉で、体を使って、お金を使って、わずかずつの金額で徳積のプラスを行っていく事で埋めていきます。

金額の大小ではなく、真心をもって日々の徳積を「日々のおつなぎ」といって種まきを行い徳を増やしていきます。

その分不徳の穴が埋まっていきます。その行いを続けていく事で不徳の穴が埋まった分借金が減っていきます

問題が問題ではありません。その問題をどのように通るか、
プラスで通るか、マイナスで通るかが問題であります。
してもらいたいという子心で通るのか、してあげようという親心で通るのか、そこが問題であります。

このような生き方が変わらないと、つまり、意識がかわらないと、気持ちが変わらないと運命は変わりません。だから問題があることは良い事であります。体操の選手の方々も困難を克服するために一生懸命であります。このことは宗教宗派には関係ありません。人種・年齢・性別、一切関係ありません。

そういう意味で問題を問題とせず、清水の舞台から飛び降りるつもりで、実理として実行してみることが非常に大事であります。
とにかく、目に見えない運命貯金であります徳を増やしてみることです。

必ず行った分、その結果が出てまいります。

全てに徳が最優先します。

[PR]

# by shizennori1 | 2016-11-18 19:46 | 4.徳積の生き方と不徳な生き方の相違
2016年 11月 15日

3.徳はどうして増やせるのか

どうしたら、よりよく生きて徳を増やせるのでしょうか。それは他に対して役に立つことですそういう行いをしていくと生命に目には見えませんが徳と言う運命財産が増えていきます。
しかし、逆の行いをして他に迷惑をかけたり悪口を言ったりしてマイナスの行いをしますと徳と言う運命財産が減っていきます。徳が減った分、物事がうまくいきません
すべて徳・不徳によります。

徳のあるものは徳のあるもの同士、徳の無いものは徳の無いもの同士、集まることになっています。
これが、つまり似たものが集まることになっています。
1日1日プラスの生き方してみますと、それが種となります。その生き方が種となり増えていきます。それが地球の種となり増えていきます。すぐには広がりません。しかし必ず増えていきます。
プールの水の中にインクを数滴たらしても、水の色は直ぐに青くはなりません。しかし、その様なことを続けていきますと必ず青くなっていきます。
これが西郷南洲翁の言っていた徳を増やす生き方になるのです。これが親心であります。親はあくまでも皆のことを考えているのです。自分というものがありません。こういう生き方が大変、大事であります。
より良く生きること、これはすべての生物が望んでいる生命的な欲求であります。

具体的には、徳を増やす方法としては日々の徳積として「日々のおつなぎ」といって種まきを行います。一番出しにくいお金を他の為に出してみることです。金額は真(まこと)で行うことで、決まっていません。このようにしてまず行ってみることです。必ず結果は出てきます。

地球の人達がより良く生きて行けますようにと願いながら種をまいていきます。

[PR]

# by shizennori1 | 2016-11-15 19:53 | 3.徳はどうして増やせるのか
2016年 11月 05日

2.徳を積む生き方

私達は素晴らしく生きる生き方を学んでいかなければならないと思います。私達の生命は自然の力と働きを頂いて活かされ生きております。自分の力で生きているわけではありません。

自分の心臓の働きは、自分の意思で動かしているわけではありません。また、食べた物を自分の力で消化しているわけではありません。血液の循環も全て自然の力と働きを頂いて動かされています。
全て自然の力と働きを頂いて活かされ生きております。

こういうことを考えていきますと生命には人種・年齢・性別・動物・植物・宗教宗派は一切、関係なく活かされ生きていることがわかります。

漢方処方を考える時に、同じ薬を使用しているにもかかわらず、その人その人によって薬の効き方が違っています。その効き方を良くするのに何が違うかであります。
それはその人自身の持っている目には見えない生命の力があるかないかであります。それが生命に備わっている財産、徳、不徳にあるという事です。
より良い生き方をすると、という運命財産が増えます。逆に悪い生き方をすればが減ります。
しかし、なかなかこのことに気が付きません

運命環境を良くする為にも、あらゆる人間関係を良くする為にも、誰にとっても絶対的に必要不可欠の生命財産であるを増やすことが大変大事であります。

良い運命環境は人間のお金では買う事は出来ません。お金があってもマイナスの生き方や不幸な生き方をしています。
お金は全ての生存行為に通用する生命の財産ではないからです。が無いとマイナスの人生や生存となります。
生命活動の全てに通用するものがと言う生命財産なのです。

徳という目には見えない生命についた生命財産を増やせばより良くなっていく事になっています。問題があつたら徳を増やしてみることです。必ず現象が起きてきます


More
[PR]

# by shizennori1 | 2016-11-05 19:56 | 2.徳を積む生き方
2016年 09月 23日

1.よりよく生きる生き方

今まで、漢方医学を勉強して自然界について陰陽で表していることを学んできました。
体は熱量のある、熱っぽい体の人と、逆に冷えて寒寒しい人がおります。
例えば弱い体質(漢方医学では虚証という)というと病気にかかりやすい性質であり、病気が治りにくい性質であることを意味します。要するに病気に対する抵抗力が弱く、自然治癒力が弱いという事になります。
これに対して強い体質(漢方医学では実証という)とは、病気にかかっても治りやすく病気に対して抵抗力のある体質を言います。
物理的体質もさることながら、他に精神的要因も必ず作用していることがあります。

いわゆる生きることにプラス(生命に対して喜びを感じて生きている事)か、マイナス(生命に対して苦しみを感じて生きている)かであります。

すべての事に感謝・喜び・感動であるプラスの感じをもって生きているのか、それとも愚痴・不足・不満のマイナスの感じをもって生きていくかであります。
言い換えると生きる事にポジティブの生き方をするのか、またはネガティブの生き方をするのかであります。

しかし、プラスで生きて行くことが理想的な生き方となるわけなのであります。
しかしながら、なかなかプラスには感じて生きて行くことは難しいのであります。

では、どのように生きたらよいのでしょうか。
そこでプラスの生き方をする為には、他の役に立つための助けたい助けたいと思うプラスの貯金の生き方をしなければなりません
この事を先人は徳という言葉を使って表現しています。
そのような生き方をすれば徳という目には見えない運命の財産・運命の貯金が増えていきます。

しかし、助けてくれ助けてくれとマイナスの借金の生き方をすれば借金がますます増えて、徳という目には見えない運命財産・運命の借金となっていきます。

要するに、徳という貯金を増やしていくか、不徳の借金を作っていくかであります。

しかし、現実の生活の中で、このことが意識して分からず、生きる意味も分からず、つまり、生きること自体もホームレスのように、ただ生きてるから生きてるといったような生き方をしています。

[PR]

# by shizennori1 | 2016-09-23 18:46 | 1.よりよく生きる生き方
2016年 09月 03日

ⅩⅧ.正しい食物の「気味」の取り方

e0319080_17351378.jpg
それでは、五臓に関連した気味の正しい摂取の仕方について、まとめてみましょう。
古書には次のように記されています。

「すべて飲食から栄養を摂取して、生命を養っている。しかし、食物の中にはこれを食すると体に良くないものがあり、知らずに食べると、かえって害にとなるものもある。近頃の人(漢の時代)をよく見てみると、節制、養生に心を傾けようとせずに、病気にかかることが非常に多い。飲食によって病を生じない者はないのである。かりそめにも、その生命を全うしようとするならば、食べてはいけない物を知ることが大切である。
食物の味には体に良い物があり、身に害を及ぼす物もある。体に合った食物を飲食すれば、体力を益し健康になることができる。害する物を飲食すれば、それで病を起こし、このために危険を招くことになる。そのようなものは、みな治療し難いものである」

現在の美食、飽食の時代にもあてはまる警鐘で、耳を傾ける必要があるでしょう。

それでは、五臓の虚実による食物の五味の取り方についてまとめておきます。
肝臓」が弱く疲れやすい人は、酸味の物と甘い物を体に合っただけ食べるようにし、辛味の物を食べ過ぎてはいけません。
心臓」が弱く疲れやすい人は、苦味とか辛味の物をなるべく多く取るようにし、鹹味の食物を食べ過ぎないようにします。心臓が病的に強過ぎる場合には、鹹味の物を余分に取るように心掛ける必要があります。
脾胃」が虚弱で疲れやすい人は、甘味か鹹味の物をなるべく食べれば良く、酸味のものを食べ過ぎてはいけません。
脾胃が強過ぎる人は、酸味の物を摂取して、脾胃の働きを抑える必要があります。それを知らないで摂取し過ぎると胃を悪くすることがあります。自然酢を服用する場合でも、必要量をきめ、脾胃の弱い人は、酢の中に甘味を加える必要があります。
肺」が弱く疲れやすい人は、辛味とか酸味の食べ物を多く取るようにし、苦味の物を食べ過ぎないようにしましょう。肺が病的に強過ぎるときは、苦味の物を食べて、肺の働きを抑えることです。
「腎臓」が虚弱で疲れやすい人は、鹹味とか苦味のものを体に合っただけ食べるようにし、甘味の物を食べ過ぎてはいけません。
腎臓の機能が強すぎて体に変調を起こした場合には、甘味の物を少し余分に食べてください。

また、古書によると、「食による中毒を治そうとする場合には、急いで病を救おうとして、熱いままで湯薬(煎じ薬)を服用してはならない。中毒の薬は、熱を得るとますます病毒がひどくなるから、当然、湯薬がさめてから服用させなさい。中毒の場合を除いては、湯薬で服用するのが望ましい」とあります。
漢方薬には煎じ薬や散薬、丸薬などがありますが、どの形で服用するにしても、このように、体温より少し高めの温度を目安にし、白湯で服用することが、効きめが的確に現れ理想的なのです。
食中毒のような中毒症状が現れた場合は例外で、煎じ薬を冷たくして、あるいは冷たい水で服用することが、正しい手当となります。なぜならば、毒物が体内に入ると、その刺激によって熱が生じるため、冷やして鎮静させることが必要だからです。
このように、生活の中で食事ではどうしても間に合わないほどに体調を崩したり、病気になってしまったときは、安全性が高く、効き目の良い、そして自然の中からつくられた薬を服用するように心掛けてください。病勢を抑え、体力を回復させることが、健康を保持する最も大切な方法だからです。


漢方においては、このように自然の輪廻、自然との調和を中心にして、人体そのもの、あるいは生活方法を考えるのが、大きな特徴です。自然に即応し、同調した毎日を送ることが、健康生活への近道になると信じます.

                           わかりやすい漢方の食養生 元日本薬剤師会漢方委員会・委員長 藤本 肇著
                                                                 救心製薬株式会社


[PR]

# by shizennori1 | 2016-09-03 18:16 | ⅩⅧ.正しい食物の「気味」の取り方
2016年 09月 03日

ⅩⅦ.四季で変わる五臓の働き

五臓の働きは、一年一律のように思われがちですが、四季によって強弱があるのです。
古書に「春には動物の肝臓、胆嚢を食べてはいけない。夏には動物の心臓、小腸を食べてはいけない。秋には動物の肺臓、大腸を食べてはいけない。冬には動物の腎臓や膀胱を食べてはいけない。土用には動物の脾臓、胃を食べてはいけない」とあります。

その理由については、「春には人間も動物も肝臓、胆嚢の機能が高まるときで、脾胃の働きは抑えられるようになる。このときにさらに肝臓を補うと肝臓の働きが強くなり過ぎて、脾胃の働きを一層抑える結果となってしまい救いようのないひどい状態になることがあるからである。

季節が春でなければ、肝臓は一般的に虚弱になりやすいので、肝臓を食して「虚」の状態を補うのも良い方法である。他の臓もこの考え方に準じるべきである。」と記しています。

この考え方は、本草学(漢方での薬物学)の実際的経験を基本にして理論づけられたものであり、食養生の上では大切なことなのです。

[PR]

# by shizennori1 | 2016-09-03 11:31 | ⅩⅦ.季節で変わる五臓の働き
2016年 09月 02日

ⅩⅥ.四季にうまく「気」を取りこむ

自然界の動植物も人と同じように「天の気」、「地の気」の恩恵を受けて生育し、特有の気を作り上げながら、生命活動を続けています。
つまり、それぞれに気が充実する時期があり、四季によって気の充実する部分も異なってくるというわけです。
春には芽の物(たけのこ・うどの若芽)を、夏には葉の物(キャベツ・ほうれんそう)を、秋は実の物(カキ・くり)を、冬には根の物(さつまいも・かぶ)を中心に食べれば良いのです。

なぜならば、春は気温が昇り、植物が芽生え成長するときで、芽に気が集中しているからです。

葉は夏に、太陽エネルギーをいっぱいに受けて生長して行きます。

秋は収穫のときで、「天の気」が収まる時期です。植物は実に栄養を集めようとするわけです。

冬に根の物を食べると良いのは、蔵する時期に入るからです。動物も一部は冬眠に入り、万物はすべて枯れてしまい根しか残りませんが、「地の気」は根に集中します。また、根の物は、地に埋めて貯蔵ができますから、自然界に順応した食資源でもあったわけです。

[PR]

# by shizennori1 | 2016-09-02 11:36 | ⅩⅥ.四季にうまく「気」を取りこむ
2016年 09月 01日

ⅩⅤ.「食物の気」の働き

五味のほかに、漢方では「食物の気」を大切に考えます。「食物の気」は、「薬性」とも呼ばれており、その食物の持っている特有な性質でこれを「寒」、「温」、「平」の三つに大別します。

「寒」というのは、食物や生薬が体内に入ったときの冷やす働きをいい、「温」は、温める作用をさします。また、寒にも温にもかたよらないで、味の働きが主となるものを「平」といいます。

このほかに、軽く冷やす「涼」、軽く温める「微温」、強く温める「熱」などに細かく分類する場合もあります。
具体的に例をあげてみますと、柿や梨には冷やす働きがあり、酒には温める働きがあります。ですから、酒を飲み過ぎて酔ったときの早い酔い覚ましに、柿や梨は良いわけです。

更に漢方では、この気の働きと前に述べました味の働きを合わせたものを「気味」と呼び、その「気味」の組み合わせによって、食物や生薬が人体に作用する特有の働きを理論づけています。

例えば、辛温についていえば、辛は肺の機能を高めますから、温めながら肺の働きを良くすると考え、苦微温は、少し温めながら、心臓の働きを補うといった具合に、それぞれの働きに意味を持たせているわけです。

[PR]

# by shizennori1 | 2016-09-01 14:56 | ⅩⅤ.「食物の気」の働き
2016年 08月 31日

ⅩⅣ.食物・生薬の「五味」の働き

私たちに食べることの楽しさを与え、食欲を増進させるものの一つに「味」があります。食物には、「酸・苦・甘・辛・鹹」の五つの味がありますが、漢方では、この「五味」が五臓を補うという独特の考え方をとっています。これが、古典の「素問」に根ざした「医食同源」といわれている思想です。

そして、「酸は肝(胆)に入り、苦は心(小腸)に入り、甘は脾(胃)に入り、辛は肺(大腸)に入り、鹹は腎(膀胱)に入る」と、五味と各臓器との関連性を説いています。

つまり、五味が、それぞれの要素に属する五臓の「虚(働きが弱くて病的な状態)」に対して、作用することを表しているのです。

例えば、胃が悪くなると、やたらに甘い物を欲しがるようになり、欲求のままに甘い物を食べていると、必ず胸やけや胃もたれの症状を起こす結果になります。また、腎臓が悪くなる前には、やはり鹹味(しおからい)の物を食べたがります。鹹味の物を食べ過ぎると腎臓病になりやすいものです。
このように、病気と五味との因果関係には微妙なところがあります。
虚の状態から正常な状態を飛び越えて、「実(働きが強すぎて病的な状態)」の状態にならないように注意さえすれば、五味が五臓を養うという考え方には、強い説得力があるといえます。

e0319080_17351378.jpg





[PR]

# by shizennori1 | 2016-08-31 18:30 | ⅩⅣ.食物・生薬の「五味」の働き
2016年 08月 31日

ⅩⅢ.「五行」思想のはじまり

古代中国の人は、生活に欠かせない基本物質として、「木・火・土・金・水」の五つを考えたのです。これが漢方での「五行」(ごぎょう)という哲学思想のはじまりで、「五行説」と呼ばれています。「五行」の行には、“めぐる″という意味があり、すべての事物や現象をこの五つに分類して、それぞれの物質が、相互に依存し合い、関係し合ってめぐっていると考えたわけです。そして人の生理現象や病理的変化を理論的に説明出来るようにし、病気の予防や治療の体系を組み立てるのに応用してきたのです。
この五行説では、人の五臓との関連を分かりやすくするために、自然の摂理を基本にして、木を肝臓、火を心臓、土を脾臓、金を肺臓、水を腎臓とみなして、理論の展開をしています。また、相互関係を表す基本的な考え方として、「相生関係」「相剋関係」とがあります。

「相生」というのは、お互いに協調し、助長し、支持し合う生理現象をさします。ちょうど母が子をいつくしむ、「生む」「生まれる」のようなつながりがあるところから、『母子関係」ということもあります。
具体的にいえば、(肝臓)は、燃えて火となり、(心臓)は、灰から後には土をつくり、(脾臓)は、ときには金となり、金(肺臓)が見つかるところには(腎臓)があり、(腎臓)は、木(肝臓)を育てるという関係になります。一方の「相剋」とは、お互いに対立し、制約し合う生理現象をさし、『支配する」「支配される」の関係にあるところから、「相勝関係」ともいいます。

表を参照しながら読んで頂くとわかりやすいのですが、水剋火というのは、水は火を消し、火剋金は、火は金をとかし、金剋木は、金属は木を切り、木剋土は、木は土中の栄養分を吸い取り、土剋水は、土は水をせき止めるという関係です。

このように、宇宙を含めた地球上のすべての事物や現象は、相互に依存し合い、相対しながら、限りなくめぐっているのです。これを「輪廻」といっていますが、漢方では自然と同調し、調和しながら生きて行くことを何よりも大切に考えます。

五行色体表

e0319080_17351378.jpg

[PR]

# by shizennori1 | 2016-08-31 13:27 | ⅩⅢ.「五行」の思想のはじまり
2016年 08月 30日

Ⅻ.五臓と体液との関係②

例えば、怒りやすい人には肝臓の悪い人が多く、このような人は、感情の起伏が激しく、涙もろいところがあることから関連づけているのです。
では、水の偏在が身体の内部に生じると、どんな症状が現れるかについて述べておきましょう。
古書に「誰にでもいえることだが、水を飲む量が多過ぎると、必ずにわかに、ぜいぜいと胸苦しくなる。また穀物を食べることが少なく、飲み物が多いときは、水が胃の辺に停滞し、みぞおちのあたりが動悸をを打つようになる。軽いものは息切れがする」とあります。

食事のとり方が少なく、水分をとり過ぎることの戒めが、ここに書かれています。
また古書に飲んだ水分が多過ぎたり、胃腸の働きが弱いときは、発汗力が低下するから、体内に水の停滞が起こり、四つの流れになる。①余分に飲んだ水が腸に流れて腸が鳴るようになる。②胸の両脇の方に流れ、停滞してしまう。③手足の方に流れて、身体が重くなってムクミを生じる。④肺の方に停滞して、咳がこみ上げて横になれなくなる」とあります。
このように、余分な水分は内蔵に害を及ぼすようになるのです。
「肺臓」にそれが現れたときは、鼻水や泡のまじった痰が出やすくなり、その結果、のどが乾いて水を飲みたがるようになり、悪循環となってしまいます。
肺は呼吸によって、肺の水分を発散するのですが、水分が過剰になると、肺が水分のために圧迫されて、このような症状が現れてくるのです。この症状が重くなると、肺の細胞がむくみ、肺水腫を起こして呼吸困難になることがあります。
「心臓」過剰な水分の影響を受けると、心臓は圧迫されて、心臓の下あたりが堅い感じになり、呼吸が苦しく、ドキドキと動悸がして水を飲むのを嫌がるようになります
「脾臓」の付近に水が停滞すると、やはり呼吸が浅くなり、身体が重だるく、身体を充分に動かせなくなります。
「肝臓」に余分な水分があると、脇腹が棒を入れたようにつっぱるようになり、クシャミも出やすく、痛みを感じるようになります
「腎臓」に水分が偏在すると、心臓の下部に動悸を感じるようになるのです

このように、五臓の各部に水分の滞りがあると、いろいろな症状が現れてきますが、大抵の場合は、胃の働きの低下によって起こります
漢方では、消化器を総称して、「水穀の道路」といい、その中心となっている胃を「水穀の海」と呼んでいます。
つまり、胃は飲食物(水と穀物)を消化し、熱を発生させて体を温め、気力体力を増進させる中心なのです
胃の働きが弱くなると、熱気の発生が弱くなり、いきおいエネルギーを循環させ、皮膚に充満させる力が低下して、外界からの寒さや暑さや湿度などを調節する働きも弱くなってしまうのです。その影響によって、五臓六腑の働きが円滑に行われなくなってしまうわけです。
健康な状態では、体表に水分の停滞が多い場合は、汗として体外に排泄され、体内に多くあれば、小便として、あるいは大便として自然に排泄されますので、余り気にもかけませんが、油断は禁物なのです。
とにかく、慢性化して病的な状態にならないように、常に摂取量と排泄量とのバランス・コントロールを考えた生活を心掛けたいものです。






[PR]

# by shizennori1 | 2016-08-30 14:22 | ⅩⅡ.五臓と体液との関係②
2016年 08月 23日

Ⅺ.五臓と体液との関係①

五行色体表
e0319080_17351378.jpg

五臓と体液との関係

ここで、五臓と体液との関係について述べておきましょう。漢方では、肝臓の働きに異常を生じると出やすく、心臓の場合は、血液に余分な熱を持つようになって「汗」出やすく、脾胃が異常なときは「涎」が出やすく、肺に水分の多い時には「鼻水」が、腎臓の働きに変化が起こるとが出やすいと理論づけています。五臓の異常によって、顔や体に体液の一部がこのように現れやすくなると考えたわけです。これは、五行説での「五液」が基本となっています。


More
[PR]

# by shizennori1 | 2016-08-23 17:15 | ⅩⅠ.五臓と体液との関係①
2016年 08月 22日

Ⅸ.余分な水分を溜めてはいけない

ある学説によると、平均して、男性の体重の60%、女性の場合は65%が水分であるといわれています。漢方でいう水分は、細胞内液と細胞外液と血液まで含めたものをさしており、「津液」呼んでいます。体に変調をきたして、血液が停滞すると「」を生じ、水が停滞すると「寒」、すなわち冷えを生じることについては、前に述べましたが、これをうまくコントロールしているのが、「陽気」と「陰気」です。
陽気は、皮膚に充満していて、筋肉を温めたり、皮膚を丈夫にする働きのほかに、汗腺を閉じたり、開いたりする役目も果たしています。また、陰気は、津液を動かして体の中で円滑に働かせる、うるおす作用を持っているのです。
この陰陽の気の調和によって、体温が36℃前後、血液の温度が37℃~38℃に保たれ、また臓腑の温度も一定に調節されているのです。
つまり、陽気が強く多ければ、バランスをとるために陰気は余分に必要になり、体内の水分が多くなります。
1~2才の乳幼児は、体重の80%位が水分であるといわれていますが、それは著しい成長時期なので細胞分裂がはげしく、そのために熱の消費量が多いからです。大人より少し高めの体温で、水分比率が高くなっているのも、このような理由からなのです。生理学では、季節によって、また個人によって違いはありますが、平均して呼吸から600cc、汗で500cc、小便で1200cc、大便で200cc、総量2500ccの水分が1日に排泄されているといわれています。

また、生体の熱生産は、筋肉で58%、肝臓で22%、脳・心臓・腎臓その他で20%の割合いで行われていて、そのときに水も一緒にできるといわれています。この燃焼水は一日400cc前後といわれていますから、摂取量は、全排泄量より400ccを引いた水分を摂取すれば、理論的には最適であるということになります。これは大変むずかしいことで、目安として考えればよいでしょう。このように、排泄、発散がうまく行われていれば、体内に余分な水分が貯留することはありません。
ところが、この調節機能が悪くなり、病的になると、余分な水分が体内に溜まり、血管を圧迫して血液の流れが悪くなり、いろいろな病気の原因となるのです。

[PR]

# by shizennori1 | 2016-08-22 16:37 | Ⅸ.余分な水分を溜めてはいけない
2016年 08月 20日

Ⅷ.血の働きを良くするもの

現代の生理学においては、血液循環を良くするものに、次の三つがあるとされています。一つは心臓のポンプであり、一つは呼吸であり、もう一つは運動です。心臓のポンプはともかくとして、なぜ、呼吸によって血流が良くなるかといいますと、呼吸によって横隔膜の働きが盛んになり、肺機能が高められるからです。複式呼吸法もこの原理を応用した健康法の一つといえます。また、運動すると、筋肉は収縮します。例えば、腕を屈伸した場合に、内側の筋肉は縮み、血液は一時的に充血してかたくなりますが、その反対の外側は伸びて血行が良くなります。この筋肉運動は、瞬間的に同時に行われるので、循環を盛んにさせるのです。ですから、洗濯を昔風に行えば、大変な筋肉運動をしなければならないし、掃除での雑巾がけにいたっては、からだ全体を使うことになりますから、筋肉が丈夫になり、血行も良くすることになるわけです。
[PR]

# by shizennori1 | 2016-08-20 11:42 | Ⅷ.血の働きを良くするもの
2016年 08月 17日

Ⅶ.血の病のいろいろ

このような血液の循環機能障害の病状を、漢方では「血の病」と呼んでいます。女性の生理に絡んだ、いろいろな病気を総称して「血の道症」といいますが、これも血の病の一つです。また、漢方でよく使う言葉に「お血」があります。これは血に熱をもち、流れが悪くなった血液の滞りの状態をさしたり、古血そのもののことをいいます。このような状態をそのままにしてしていると、脳卒中の原因になったり、心臓にも悪影響をきたし、血管中に血の塊ができる血栓を引き起こすことさえあります。新鮮な血液によって、はじめて新陳代謝も活発に行われるわけですから、いろいろな余病が出ても不思議ではありません。
[PR]

# by shizennori1 | 2016-08-17 18:35
2016年 08月 13日

Ⅵ.心臓と血液のめぐり

古書では、血液をめぐらせるについて「体を補い、陰陽をめぐらし、血液循環を良くし、筋肉や骨を潤おして関節の動きを潤滑にするもので、これを栄気という」とあります。「栄気」である血液の働きが正常であれば、体は健康で、筋肉や骨髄に栄養を与えることができ、関節の屈伸を滑らかにして痛みを感じさせることもない、というわけです。
心臓は血液に関係のある臓器ですが、漢方では汗のことを「心臓の液といいます。血液が余分な熱を持つと、発汗して熱を下げます。汗の出方がその人の体力や皮膚の強さに対して多い場合には、血液の水分が少なくなります。その場合には、かえって血液の流れが悪くなり、血に熱が集まって、どうきや息切れを起こすことがあります。また、逆に、発汗が少なく、血液中の水分が多くなり過ぎても、血液の流れが悪くなり、やはりどうきや息切れの症状が生じ、手足が冷えてくるのです

[PR]

# by shizennori1 | 2016-08-13 12:39 | Ⅵ.心臓と血液のめぐり