自然の仕組み

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2017年 03月 29日

11.「生命の親」の御存在

大自然界には自然界の大きな大きな生命の営みがあります。そこには、宗教宗派だとか、人種区別とか、動物とか、植物という差もありません。そこで私達は、生命を頂いて誕生させて頂きました。この大自然の大きな営みによって、寝ている間も心臓が動き、こうやっている間も一秒間、一秒間5000万の細胞が生まれ変わっています。これが大自然界の事実であります。

また、細胞の生まれ変わりによって、垢が出てきます。これも新陳代謝によって自分の皮膚を守ってくれた細胞の一つ一つの生命であったはずであります。全生物がこの生命の営みによって生かされております。このことは、いつでも、どこでも、誰にとっても、何にとっても、本当に大事なことであります。

私達が活かされ生きることには、宗教宗派も、人種も、民族も、動物、植物も関係なく活かされております

この大自然の大きな営みには、形がありません。しかし、この形がなくても、その力と働きはあります。エネルギーといっても、生命力といっても、生命エネルギーといっても、それは大きな生命の営みです。この生命エネルギーを頂いて、新陳代謝や血液循環をして頂いております。私達も、この大いなる生命の一部を頂いて活かされ生きております。つまり、大自然の事実から言いますと、私達の生命が活動している姿、生命活動の姿と言えるのであります。

そうすると大自然の大いなる生命は、これだけの大きな大きな生命の営み、つまり、大いなる生命活動をしていて下さっています。その内容というとは、全生物に生命を与え、全生物を活かしているという大きな生命活動をしていて下さるということになるわけです。

本当は、宗教宗派じゃなくて大いなる大自然の生命のお力お働きがありますということそのことを意味したのであります。

だから、形ないから釈迦が「色即是空」と空と言い、キリストが「天にまします我らが父よ」と言ったので、本当は、形ない大いなる生命の力と働きですよという意味がこの様になったわけであります

そうすると、この大いなる生命は、全ての生命あるものに生命を与えています。だから、生命の元といえます。私達が子供を産んだら、親というのは、我が子を通して生命が与えられたわけであります。そうすると、この大自然の大いなる生命というのは、全生物の生命の大親ということになります。そこで自然の生命の大親であることから大親である大生命ということになります。

この「自然の大いなる力と働きである大親である大生命のお力お働きは、なくてはならない必要不可欠なものであります。この力と働きがなければ、全てが成り立ちません。

この様に大自然の事実に鑑みて、誰にでも共通普遍のこととして考えていくと大親である大生命」が自然の創造主と言うことになります。
地球を回し、血液を循環させ、新陳代謝をして下さっているのは自然の創造主がして下さっていることになり、人間がしていることではないから、あえて表現すると、「生命の大親」ということになります。しかし神様の名前ではなく意味であります。いわゆるパパとかママと言う概念になります。そうすればお互いに宗教宗派で喧嘩する必要はないはずであります。誰にでも当たり前のことになります。

人間の作った宗教宗派は、自分たちの拝んでいる神様が違うと言って喧嘩をしています。神様を、キリスト教では、天なる父といい、仏教では空、大日如来といい、イスラム教では、アラーといい、ユダヤ教では、エホバといって、歴史的にお互いに殺し合い憎しみあって来ました。人間が勝手に作った神様が違うと言って争ってきました。そのような神は存在いたしません。

の本質は宗教宗派を越えた誰にでも当てはまる共通普遍なものであります

この事が判りますと
「生命の大親」から見ると私達は生命の御子ということになります。そうすると生命の親子となり、全生物が生命の家族ということになります。
そしたら、生命に宗教宗派も人種差別も動物植物の差もありませんということになるわけであります。 このような考え方になると、そこには生命の愛があり、助け合って生きていくことになるわけであります。こういうことをどうしても悟らなければなりません。真実であるからであります

だから宗教は、集狂(しゅうきょう)であり、事実に違反していることに気が付いていません
私たちは皆、同じ力と働きを頂いて活かされ生きております。


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by shizennori1 | 2017-03-29 17:48 | 11.「生命の親」の御存在
2017年 03月 17日

10.運命を良くする生命霊財産(徳)②

「生命の親」が生命そのものにつけて下さっている運命財産・徳の事が生きて行くのに大変重要なことであります。素晴らしく生きていくのに この事が分かって生きて行かなければなりません。
それに己の意識を高めるのには知性・理性・感性を更に高めていかなければなりません。

「生命の親」よりお授け頂いた誠に貴い親理をここに伝えさせて頂きます。
お授けを頂いて、教えて頂かないと何一つ分かりません。自分の持っている意識には無い意識であるからであります。

     徳積みの理

とは「生命の親」が保証して下さった生命的クレジットカードの如きものであります。
「生命の親」の生命的保証カードは通用範囲が広く大自然の全ての事柄に通用します。

何日何処で誰にでも何にでも通用し自分が願った通りの運命や現象を現す事ができるという
「生命の親」の生命的クレジットカードは 永遠普遍に価値あるものであります。

という形而上的クレジットカードは大変便利なものでありますが便利だからと言って使いすぎるとの取り過ぎとなり天の差し引き勘定がなされます。

生命的徳の保証カードは1回使用する毎に自己の天の徳の貯蓄は減っていきます
の貯金が無くなりますと不徳人となります。
人間の金を貯金するところは銀行でありますが徳を貯金するところは生命的次元の世界であります天の金行であります。

〝汝ら心して天に徳を積め〞とキリストも天国への徳積を教えていった。

不徳な者がこの地上での金や宝物財産を持つとかえってこれらのものに執着し失う事の不安と増々物質的現世的なものにとりついて霊的観念波動が欲望の奴隷となっていく
やがて消え去っていく物質界の現象に囚われた霊魂となって地上での金や物や権力を持った事がかえって霊的災いの種となりマイナスとなります。

凡そ大宇宙 物質現象界の全ては生命の御子らの霊的成長発展の為に創造されたものであります。
地上の全ての物事は 他に対して役に立ててこそ真価が発揮されます。
金も物も肉体も心も 霊的観念波動も 生命力も 役割機能の原則に沿って使用してこそ価値があります。

「生命の親」の御親意に沿って他の為に役立ててゆくことが徳積であります。
「生命の親」の親理のお力お働きによって創造された世界に
「生命の親」の生命の一部を生命の御子として頂き 親の理によってこの世に活かされ生きているのが全生物の姿であります。


この世で得る全てのものは 元来「生命の親」より与えられたものであり 徳積とはこの世の物事をどれだけ多く 「生命の親」の御親意(みこころ)に沿って役立てる事ができるかということであります。
それ故に 金や物や権力を自分のためだけに取り込んで執着していたのでは増々不徳な者となります。
金や物や権力など自分のために取り込んで欲望の奴隷となった者は自己の霊的段階を下げて生命的原動力の徳を失い 下位落するものであります。
己の魂を売って世俗の快楽を得たというゲーテのファーストと同じことです。
蛸が己の足を食べ目先で食欲を満たすのと同じ事であります。砂漠で喉が渇いたと言って持っている水を全部飲んでしまうのと同じ事です。
一時的満足はありますが砂漠を渡りきるまでに最も大切な生命を失う事になります。

物質文明におぼれている現代の人類は目先で物を得て己れ自しんのと自己の霊的段階を下位落させているです。

地球という自然資源に限りがあると判っていながら増々物質的豊かさのみを追い求め      
人口を増加させていっています。


「生命の親」
の御親意に叶い他にプラスを行った種が自ら徳として帰ってくる
この事が
徳積の原理であります。


情けは人の為ならずという諺があります。 他の人のために行った善行は結局自分自しんの大いなるプラスとして循環してめぐってくるという事であります。だから人のために情けをかけた事は人のためではなく むしろ自分自しんのためなのだという意味であります。これを循環の理法というのであります。
この世の全ては循環の理法によって成り立っています。
大宇宙もすべてが循環しているのであります。

他にプラスを与えた行いが種となって 自らにプラスが返ってきます。
他のためにプラス行わずして 神仏に願ったとしても絶対にプラスは自分に返ってはきません。
種を蒔かずして米を生やす神仏などはどこにも居ません。
原因なくして結果はないのであります。 
これは

「生命の親」
の絶対的な親理(真理法則)であり 必要不可欠な理法であります。
麦を蒔けば麦が生え 柿をまけば柿が生える
全ての事は種通りに増えて 結果として戻ってくるのであります。


「生命の親」の親理のお力お働きは正確無比であり循環の理法は絶対であります。

行いの種がプラスであれば絶対プラスが返りマイナスならばマイナスが生えてきます。
種まかずしてしては何事も生えてきません。
日々プラスの種をまいていく徳積を 日々おつなぎといいます。
日々 親理のお力お働きによって活かされ生きて居ります。

生命の御子らの全ての生命を代表してその感謝と喜びを「生命の親」にお受け取り頂き
真性地球親化発展の為に役立つ最大の徳積の理
日々のおつなぎであります。


この地上の全ては生命の御子らが徳積を行い生命的霊的自己の本質を向上発展させる為の材料であり 金は徳積のための材料であり 物も材料であります。
肉体も心も才能も全て徳積を行うための材料であります。

自らが自らの自由意思で使用できるものは全て役割機能の原則に沿って役立て徳積を行うための材料であります。

真性地球親化発展に役立ってこそ自己の存在価値が高まり増々向上発展します。
日々のおつなぎを行って徳を積んでこそ自らの事情身情も見事に親御守護頂けます。

徳積を行って事情身情諸々の願い事などの親御守護を頂いた場合は人生の充実感と生存の価値が一段と高まり霊的観念の向上発展と生命力の開発が更になされていきます。
おつなぎとは親縁をつなぐ理であります

「生命の親」と真性なる意識の悟りにより生命の御子として生命的親縁で直結されたものである証明であります。


◎この物質現象界で徳の事について表した記述があります
 松下幸之助の遺した言葉として徳行というのがあります
 
 徳行
人間としていちばん尊いものは徳である
だが徳は、教えることも習うこともできない
自分で身につけるしかない

   松下幸之助は、いくら知識やお金や、そのほかいろいろなものがあったとしても、
徳がなければそれらは生きてこないと考えていましたが、次の言葉は、ある青年から、
「徳を高めるにはどうすればいいのですか」と問われて答えたものです。

 それは私のほうが聞きたいな。私自身がいちばんそれを知りたい。むしろ、君から教えて
欲しい。こっちで聞きたいくらいです。
 しかし、徳というものは、漫然としているけれども、何よりこれがいちばんの宝でしょう。
技術も大事だし、学問も大事だけれど、徳を持たずして学問も成り立たないわけです。だから、本当の学者というのは、非常に徳の高い人でしょう。
仮に、高徳の聖といわれるようなお坊さんがいたとするでしょう。その弟子が五人いるとしたら、その五人が五人とも高徳のお坊さんになるというものではないわけです。なかにはお師匠さんに反対する人もあるし、いろいろ出てくる。だから、いかに高徳のお坊さんでも、それを人に教えることはできない。やはり、〝これが人の道だな〞というものを自分で探し求めて、悟るしかないのでしょう。その参考にいろいろ教えを聞くということはいいわけです。いま、きみは参考に聞いているのだと思いますから、参考に話をしてあげられたらいいのですが、私もはっきりいってまだ分からない。今、求道中です。
 〝君が徳が大事である.何とかして徳を高めたい〞ということを考えれば、もうそのことが徳の道にはいっているといえます。しかし技術は教えることも習うこともできるけれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。御釈迦さんでも修行して、いかに艱難辛苦しても、悟れないときは悟れなかったわけです。悟れるときは何の苦労もせずに悟れた。
私が思うには、御釈迦さんは終始一貫、〝悟りをひらきたい。この宇宙というものについての道を知りたい〞という要求だけは強かったわけですね。死にかけて、倒れて気絶するという瞬間でも、それだけは忘れずに求めていたのだとは思います。それで、菩提樹の下でほっと悟りをひらいた。
そんなもんですからね、君がそういうことを考えることはいいと思うし、私に質問
していることも、その過程を踏んでいるわけです。だから、そういう心がまえでやっていってください。
私もしっかりやるから。

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by shizennori1 | 2017-03-17 17:07 | 10.運命を良くする生命霊財産(徳)②