自然の仕組み

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2017年 09月 18日

42.十元の理法Ⅰ

この世の中はどの様に出来ているか、どういう原則で出来ているかと言いますと「生命の大親より、お与え頂いている親理で出来ております。

ここで与えられている全てのものは,天啓であります。親の実際の御親意(みこころ)であります。天啓というのは条件があります。

天啓というものは、第一番目 あらゆるものに通用しなければなりません。

あらゆるものに通用しなければ天啓とはいえないのであります。自分の宗教にだけ通用するというのは、天啓ではありません。
何時、何処にでも、誰にでも、何にでも絶対的に通用しているものでなければ、天啓とは、いえません。ですから、全てに通用すると言ったら
普遍性といえます。何時でも通用すると言いますと永遠であるといえます。

つまり、永遠普遍性が天啓の特色であります「生命の大親は、大自然の全てをお創りに、なられました。全てをおやりになっているのですから「生命の大親」の御言葉であり、全てに通用いたします。

「循環の理法」と言いますと、アンドロメダ星雲にも通用いたします。しかし、聖書も、お経も、アンドロメダ星雲には通用いたしません。

つまり第一番目は、永遠普遍性であります。このことは絶対的に通用いたします。

第二番目は、それが無くてはならないものであります。無くてはそれが出来ないと言いますと、こういうのを絶対的に必要不可欠なるものであるということであります

四十億年も、この地球上で、生命現象が行われてきました。恐竜時代には、聖書もお経もありませんでした。犬、猫も、聖書、お経は、知りません。知らなくても生きています。

しかし「循環の理法」というのは、全てが循環しています。これは「生命の大親の掟であります。人間が掟をやっている訳ではありません。人間は、地球を回すことはできません

「循環の理法」といいますと、原子核も、素粒子も、電子も循環しています。分子もそうであります。新陳代謝も、血液も、地球も、太陽も、銀河宇宙も、アンドロメダ星雲も、生まれて死んでも、あらゆるものが「循環の理法によって成り立っています。これは、絶対的に必要不可欠なものであります。こういうのを天啓といいます

「種類分化の理法」というのがあります。あらゆるものが、種類分化されています。そして存在しているという事であります。

種類分化という、個有性、自分独特の個有性で、其の人独特の顔つきをもっています。その種類分化が全然なかったら、顔つきが同じだったら、男と女という種類も無かったらどうなるでしょうか。水素、酸素、窒素、鉄、こんなものが無かったらどうなりますか。体だっても、種類分化に分かれています。手も、足も、顔も、目も、鼻も、種類分化であります。太陽も、月も、種類分化がなければ、この世は成り立ちません。

つまり、無くてはならないこの世の中を成り立たせています十の法則であります原理原則のことを「十元の理法」といいます。
第三番目 大自然界の事実そのものでなければ価値はありません。

大自然の事実そのもので在ることが、絶対条件であります。事実が事実をもって事実であることを立証する。これ以上の事実の証明は、ありません。大事なのは、事実であります。

例えば、酔っ払いなんかに、良くありますが、こちらから見たら、とっても酔っ払っているから、もうこれくらいで止めたら如何ですか?と言ったら「僕は、酔ってない」と、ろれつが回らない状態。これは、事実が事実であります。ただ、其の人の気持ちであります。これは、事実では、ありません。

私達は、事実を事実として摑まなくては なりません。
大切なことは、事実以外の余分なことは、信じる必要はありません。ですから、人間が今まで、天啓と言っていたことは、全部嘘であります。何故かと言いますと「生命の大親」の事を判っていなくて、どうして天啓と言うことが出来るでしょうか!
「生命の大親」のお力お働きが無かったら、この体だって動かす事は出来ません。生命というのは、生命エネルギーであります。体そのものだけでは動きません。ここへ、生命エネルギーという一つの力と働きが入らなければ動きません。
この生命が無くなったら動かなくなります。

最初は新しい肉体を与えられて、いろいろ体を使わせて頂いて、体を古くしてお返し致します。借りたものは、お返ししなければなりません。喜びと感謝でお返ししなければなりません。ましてや死ぬのは嫌だというのは、おかしい事であります。

大事なのは「生命の大親」によって生命は、与えられているのであります。
「生命の大親というのは、この世の中をお造りに成っておられますから、物を造るのには、ルールというのを決めてつくっておられるはずであります。

野球をするといっても、ルールが無かったら野球にならないでしょう。あらゆる事は、一つの掟、法則によって成り立っています。
道路交通法も、法則がなかったらめちゃくちゃになってしまいます。

この様に、この世の中を整然とお造りになっているのには、この世の中を造っている掟、ルールがあることになります。秩序があります。

その基本的な十の秩序。これを「十元の理法」といいます。この一つ一つが天啓であります。

これは絶対に無くては、この世の中が成立しないような基本的な掟であります。 人間が作った掟では無くて「生命の大親」がお造りになった「生命の大親」の親理そのものであります。ですから親理を大自然の真理法則とも言ってるわけであります。

例えば「循環の理法」と言ったら人間が決めたのでしょうか?そうではありません「生命の大親」御自親が決められたのであります。

更に全ての存在は、その個有性を持って、それぞれの種類分化してのみ存在しています。四十億人の顔を違えて作れますか? 雪の結晶を、一つ一つ違えて作れるでしょうか? 松の木でも竹でも全部違います。 いろんなものを種類分化して作れるでしょうか?このように「生命の大親」がおやりになっていて下さっています。

人類は、何に目覚めるべきでしょうか? 「生命の大親」の親御存在であります。この自然の偉大な力と働きであります。これに目覚めるべきであります。そこには、ちゃんとした掟があります。

麦を蒔いたら何でしょう? 麦であります。これを「原因結果の理法」と言います。もしこの「原因結果の理法が無かったとしたら、この世の中はどうなるでしょうか? どんな不都合が起きるでしょうか? 例えば、麦蒔いて何が生えるかわからなかったらどうしましょう

「原因結果の理法」が無かったらどうでしょうか? 当たり前だと思っていますが、これは、大変な事であります。こういう大自然界の掟というのは! 簡単なことだと言っても大変な事であります。

こうすれば、こう成るということが成り立たなかったらどうなるでしょうか?
科学ということも、こういう原因でこういう結果になるということを摑んで、そのことを応用してやって行きます。電気の法則にしても、クーロンの法則にしても、同じ事であります。

つまり「原因結果の理法」そのものは「生命の大親」がやっていて下さっておられます。

このような事を「理法」として悟っていきますと今、人生問題があったとしても、これを行うのに大事な事は、この人生問題が問題ではありません。自分がこの問題をプラスで通るのか、マイナスで通るのかが問題であります。

「原因結果の理法」に沿って、自分が解決する為のプラスをやっていけば、必ず結果として解決するのであります。

ところが、問題が起きると、大変だ、大変だ、もう駄目だ。いやだなとなってしまいます。マイナスの方ばかりして、解決のプラスの行いはしていないのであります。それでは結果的にマイナスに成ってしまうのであります。
どんな問題が来ても同じであります。

ですから、地道に先ず、真理を悟る事であります。

「十元の理法」とは、この世の中を創っている絶対的な掟であります。


それは、親の天啓によって、私達に与えられたものであります。その証拠には、人類が全然こういう法則性を、今まで知らなかったのであります。こういうことは、どの本にも、何処にも書いたものは、ありません。人間の意識でとらえられるものではありません。こういう理法は全て授けてもらわなければ判りません。
何故なら人間ひとりひとり、実際に親に食べさせてもらい、着させてもらい、教えてもらわなければ、一人で大きくなったわけではないからであります


「十元の理法」
で、指が10本あるのは誰が決めたのでしょうか。1本足りなくても困るし、1本多くても困ります「生命の大親」が決めて下さった10であります。この親物質界の地球においての決まりの数字であります。

そこで「十元の理法」というのは、この大自然というものを、ひとつの十の角度から、法則性として理解したものであります。
この様な大自然の事実を悟らなければなりません。


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by shizennori1 | 2017-09-18 11:57 | 42.十元の理法Ⅰ


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