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自然の仕組み

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2017年 05月 03日

22.プラス善とマイナス悪

問題は考え方にあります。その様に考えた結果、どのような感情になるかであります。思考からーーーーー→その様な実感(感情)が出てきてーーーーー→そういった行動・行為になります。その場合善悪の価値基準は何かという事になります。

例えば、あの人は変な人だと考えている時に、その相手に出会ったとしますと、その時マイナスの感情になり、マイナスの顔つきになります。
画家であるムンクが、赤い色を見て恐怖を感じました。その実感を表現したら、その様な行動をしました。この場合は、マイナスを表現した世界であると言えます。この事から、実感をつねに表現しているという事になります。

         ムンクの「叫び」という絵

この親物質界では、何かを常に表現しています。マイナスを表現したら自分が苦しむのであります。自分自身がマイナスを感じたことにより苦しむのであります


例えば、商売はどうですかと尋ねますと、いやー大変ですよと、会社はどうですかと尋ねても、いやーうちの会社は大変ですよと、おたくの会社はいいでしょうと、何もその様に損して通る必要は無いのであります。お宅の奥さん素晴らしいですねというと、そんな風に見えますかとか、必ず否定的なマイナスを表現しております。

日本人は、本音と建前があります。マイナス思考をすると世の中それがいいとして解釈しています。
女性に貴方のご主人を褒めると、どう言うかといいますと、とんでもないという。普通はとんでもない相手と結婚するかと言いたくなります。

そうすると職場でプラスの方を言う人が何人ぐらいおりますかと言いたくなります。夫婦の褒め合い、プラス思考がなかなか出来ません。

季節の事でも暑いときは暑いと、寒い時は寒いといい現実が素晴らしいから、現実の素晴らしさを受け入れる事が大事であります。こういうのを思考といいます。


要するに、現実にある今日一日生きる現実の運命、環境を素晴らしく生きる事であります。

プラス思考というのは、理性的判断力であります理性的判断力がプラスであれば己自身に実感としてプラスの実感を持つことが出来るのであります。

行動が行いの種であります。行動は自己生存の表現であります。これは「実行実現の原則」で、行いの種となります。
そのように行えばそのような結果が出るのであります。麦まけば麦が生えてくるのであります。今日一日素晴らしく生きたら絶対その様になってきます。

人間関係でも、相手のプラスの方を見ているのか、マイナスの方を見ているのかであります。
マイナスの行いをしたら、その事が自分の運命・環境に必「循環の理法」でめぐってきます

東西陣営で、外国がお互いに対立の種を蒔いています。相手をやっつける為、核兵器を開発しています人類が毎日マイナスの種を蒔きますと地球の運命がマイナスの結果を招く結果となります。

つまり、自分がマイナスの事をしていますと、累積して地球の運命がマイナスの運命となるのであります

自分だけが、助かるだとか、浮かばれるだとか、金が儲かるとか、罪を許してもらうとか、それで助かる訳は無いのであります。

私達は、丸い宇宙船地球号に乗っていることになります。「生命の大親」が、この地球を回し、空気を飛ばないように、引力で引っ張って下さっておられます。しかし、私達は、この宇宙船の空気を汚染しています。それにもかかわらず、自然と言う名の「生命の大親」が、ジェット気流や偏西風などで換気をしていて下さっておられます。人間がしているのではありません。

今、活かされている時は、肉体的に精神的に、生きているのですから心配しても運命は変わりません。愚痴言っても変わりません。因縁があるとか、方位が悪いとかマイナス思考をやっていたらノイローゼになるだけであります。そこで理性的判断をプラスにしなければなりません。

善悪の価値基準はどうなのかと言いますと、人類は全然わかっていないのであります。一体、何をと考えるのでしょう。
そこで、肉体的生存を考えてみますと、思考という考え方、何をどう認識したか、これで実感が出てきます。認識の問題であります。

    ルイスウェインの3匹の猫

ルイスウェインという画家が描いた猫、この猫を怖いと判断した。そして恐怖となりました。自分に害を与えるのかと思い、段々怖くなって恐怖でとおりました。猫を見て、最初かわいいというふうに感じていました。それを恐怖に感じて通りましたから、ルイスウェインは不幸な一生となりました。恐怖で通りましたから増々運命・環境が恐怖になっていきました。

     ルイスウェインの猫の絵       

ここにマイナスに思考してマイナスの感情となりマイナスの行動をして、生存の表現をしています。
だから本気になってプラスを表現できるかということであります。

要するに、猫をマイナスに考えマイナスに表現したら、マイナスの生存となる結果をもたらすのをといいます。

というのは、マイナスの生存の結果をもたらします

というのは、プラスの結果をもたらします。そのような思考であり、感情であり、行いの種であります。これをプラス善と言っております。

目先で欲求を満たす事をしてしまった。この目先のマイナスの感情に流されてマイナスをした事が本当に自分の一生にプラスかどうかであります。

とは、そのときはつらいけれども、後で結果的にはプラスになる事であります。
感情は、常に刹那的であります。熱いという感情は、喉元すぎれば、実感はそのときしかありません。

例えば、おいしいお菓子を食べて、プラスの実感を持つと、食べて良かったな、ああ良かったなとなるのであります。これが、心豊かに、生きる味わいとなるのであります。そして生存がプラスとなるのであります。

生存を、より広く、より長くプラスにしていかなければなりません。
より広くとは、己だけではなく、一家だけではなく、全人類、全生物に、他のものに、よりプラスを与えていくことであります。今は、一寸つらいけれども、頑張ってもっと大きなプラスをもたらすことであります。これをといいます
種をまき、一生懸命育て、素晴らしい収穫をたくさんしました。これをといいます

目先で感情を満たしたとしても、後で結果的にもっとつらい事がきます。これをといいます。今、目先の感情で、ああだ、こうだといい、そして結果的には人間関係をその感情で駄目にする。これをといいます。

自己防衛と自分の我を満たしたいが為に、己の感情に左右されて、その感情をコントロールできない。これをといいます。そして己自身をマイナスにしてしまいます。


地球という宇宙船の中で、核兵器を造って、宇宙船をぶっこわそうとしています。

理性的判断力をプラスにして、行いの種を人生に蒔けばプラスに生きられます。
何を基準にしていくかといいますと大自然の親理法則であります。親理に沿って助けあえば、地球が平和になります。

教育改革にしても、其の人の意識であります御霊、つまり命霊観念を切り換えなければ、制度をいくら変えても人間は変わりません

己の人間性、己の中身を変えないと制度を変えても本当の改善はありえません。本当に中身から、根本から変えようとするのは、1000人に一人もいません。制度が問題ではなく、私達の実感が問題であります

しかし、その実感は理性的判断力、思考という問題に由来します

マイナスの思考は、マイナスしか考えられません。そしてマイナスの実感を持ちます。癪にさわりますとその行動しかしません。マイナスの感情の行動しかしません。感情に左右されてその様になってしまいます。それが全てになってしまっています。

感情がより広く、より長くなるのがといいます。自己の生存は他の生存に直結しています。自他一如であります。
つまり、
他のことも我が事であります。


感情がより刹那的、より短く、より自分だけ、より小さいものをといいます。猫が目先で魚を取るように、人類も長い目で見たらその様な事をしています。


生命性に目覚めた親性意識のある親性人は「生命の大親」の大きな生命によって親の子として活かされております。そして生きるのは素晴らしいと、その前提と感動にたって親理に沿って生きられるのであります。

同じ一日生きる生き方が恐怖に生きるのではなく、今日一日を感動で生きるのであります。
生存を感動で生きなければなりません


与えられている人間関係、職場や家庭、今、与えられている運命・環境のこの中で最大の、最高の、最善の喜びと感動をもって通るのが悟りであります

その為には、実際プラスの種まきをするのであります。その為には実感がプラスでなければ出来ません。感情がプラスになるのには、プラスの思考をしなければなりません。プラスで判断しなければなりません

プラス思考、プラス善、マイナス悪、一人一人がマイナスの行いをするとマイナスの蓄積となる地球となってしまいます。

今この生きている感動を真実感してみる事が大切であります。思い方一つ、感じ方一つ、判断し方一つ、プラスでもっともっと判断してみる必要があります。


その為に、プラスの思考をし、理性的判断をプラスにし、プラスの実感をもって生きていかなければなりません

「生命の大親」にお受け取り頂く事が出来ますよう、如何なる運命・環境でも、とにかく最大にプラスで生きていくことであります。
お受け取り頂かなければ、その様な現象は、起こりません。

何故なら、全てこの世を親創造し、より良く生きて活けるようにして下さっておられるのが「生命の大親」であるからであります。
自然と言う「生命の大親」は、あらゆる宗教宗派、人種、民族を越えて誰にでもあてはまる、永遠(時間を越えた、いつでもという事)なる、また普遍(空間を越えた、何処でもという事)なる存在であるからであります。

つまり、親生命界(生命の世界)も、親命霊界(御霊・意識の世界)も、親物質界(形ある物質の世界)も、全ての全てを行っていて下さっているからであります。

この御存在は、あらゆる宗教宗派、人種、民族の、その中だけで通用する神仏では無いからであります。

要するに、宗教宗派、人種、民族の問題ではなく、この事を越えた生命の問題であり、生きる問題であるからであります



by shizennori1 | 2017-05-03 12:17 | 22.プラス善とマイナス悪


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