自然の仕組み

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2017年 04月 11日

15.「種類分化の理法」

この世に存在する全ての物は、みんなそれぞれに違っています。全く同じものは、この世に二つと存在いたしません。この様に生命の大親は親創造して下さっておられます。たとえ、双子であっても全く同じ顔ではありません。

「十人十色」「田で食う虫も好きずき」「割れ鍋にとじぶた」「人みて法をとけ」「豚に真珠」などの種々な諺も、種類分化の理法を基にした考え方であります。

もし、この世の全ての事柄が、種類分化の理法によって異なっていないならば、「十人十色」という考え方は出てきません。

「十人十色」とは、種類・分化されて、この世は存在している事を悟らせる為の一つの例にしか過ぎません。人の顔も、指紋も、浜辺の砂の一粒一粒も、一つ一つの雪の結晶も、みんな違うものであります

この世は、「種類分化の理法によって、全て個々の異なったもの(個有性)で成立していることを悟らなければなりません。この様に生命の大親は、親創造して下さっています。

種類分化の理法」で、この世は成立しているという事は、もしこの理法が働かなければ、この世は成立し得ないということになります。

もし、この理法の働きがなければという仮定で、この世の姿を想定してみますと、例えば、もし種類分化の理法が働かなければ、リンゴやバナナという種々な果物は存在し得ない。更に、果物・野菜・穀類・などの食物の種類すら、存在し得ない事になります。。

種類分化していく働きを無くしたら、食物と非食物の違いも無くなるし、更に種々な物質の違いも無く、分子・原子・種々な素粒子の種類も違いも無くなってしまい、更に又、物質と非物質(物質と形而上的存在)の違いも無くなってしまい、もはやこの世は成り立たなくなります。

理法とは、この世を成立させている最も根元的かつ基本的なこの世の掟であります。

従って理法は、この世の全てにあてはまるのが当然であります。すなわち、理法は永遠・普遍の存在であります。

理性的価値判断・・・・・・「理の判断」・・・・・・理法の価値観

理の判断とは、いつでも、どこでもあてはまる理法を基にして、理性的に物事を判断する事をいいます理法を基準とした価値観であります。永遠普遍の価値観であります。この世の大自然の事実が事実をもって証明している価値観であります。

要するに、大自然という生命の大親の絶対的価値体系を大自然の理法(真理法則)をもって理性的に判断し、悟っていくことが理の判断であります。

この世は「種類分化の理法」でそれぞれが個有性を持ち成立しているのでありますから、互いに個を認めあい、尊重しあう事は理法に適したことであります。

人種差別や宗教宗派で互いに争い、けなしあうことは理法に逆らったことであり、間違いであります。自分が気にいらないからと、感情で相手を非難し否定する事は間違いであります

種類分化の理法が悟れたなら、人類は互いの生存を脅かす様な争いを止め、国家のエゴをここまでむき出しにせず、もっと平和の住み良い世界にすることが出来ます

「種類分化の理法」による「理の判断」

種類分化の理法」によって、この世は色々のものが、それぞれ個の特色をもって存在しています。色々のものを色々と味わう為に、「生命の大親」は、色々と味わう為のもろもろの器官を授けられました。この器官とは、眼や耳や鼻、舌などの五感といわれているものであります。

眼は色々なものを、良く見分ける為の器官であります。眼の使い方が理に適っているなら、眼は、眼としての役割機能を増々良くはたすようになり、問題は起こりませんが、逆に理に逆らっている場合は、色々と障害が起こります。

例えば「あんな人は見たくない、会いたくない」とか嫁姑が互いに「顔も見たくない」などと見ることに対してマイナスの意識を常に持ち、眼の役割機能に対して否定的な心使いをしていれば、その様な精神波動が潜在的に意識の中に蓄積して、次第に肉体的眼の機能に障害が起きます。

耳に関しても同じ事であります。耳を使いより良く人様の言うことを聞き分ける事は、理に適った行いであります。

理に反した行いとは、自分が一方的いこじな固定観念(ステレオタイプのアイデア)をもち、他人の言う事には耳をかさず、がんとして自分の固定観念だけを押し通すような場合であります一般的に“つんぼのガンコ親父”といわれるのは固定観念によって、人の言う事に耳を傾けなくなり、耳の役割機能を失った姿であります。

お年寄りでも、耳の良く聞こえる人も居れば、聞こえない人も居るという差が出てくる理由は、耳の役割機能を十分に肯定的に使っているか、それとも否定的に使っているかによるものであります

私は絶対にお前の言うことなんか聞かないよ」とか「そんな事は聞きたくない」と言って、聞けることに感謝がなく、不足していると、耳は遠くなります。

この世は種類分化の理法によって、個々の特色ある存在によって成立しているのであるから、見分け、聞き分けを良くして差を認識しあって通る事が、理に適った生き方であります。

差を認め合うからこそ、調和を保つために更に大きな心へと人格の成長発展がなされるのであります

色々な個性の差を認識することにより、それを包含する為のより大きな、より本質的な考えが必然的に必要とされてくるのであります。この事が悟りであり人格の成長発展であります。

人生において、人が色々の困難な問題にぶつかった時、人は新たなる体験や認識を行います。新しい体験や認識は、自分の今までの考えを拡大し、人生問題を解決する為には、どうしても自分から脱皮して自分の考え、態度、行いを改善改良せざるを得なくなります。「苦労は買ってでもせよ」という事は苦労すれば、するほど、自分の成長発展に結局は還元されるからであります

このような理法を知識として身につけたとしても、或いはこの理法がああだ、こうだと色々のところで話したとしても、その様な生き方をしなければ本当の「生命の大親を悟らなければ、その様な現象は現れないし、その様な理は働きません

真摯に生命の大親の御親意(みこころ)に沿った生き方が大変重要 になるわけであります


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by shizennori1 | 2017-04-11 10:41 | 15.「種類分化の理法」


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