自然の仕組み

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2017年 04月 11日

17.「循環の理法」

私達は「生命の大親」が親創造されたこの親世界に、生命の祝福を頂いて誕生させて頂いております。誰も意味なく生まれてきた人はおりません。

私達はどこの家に、第何番目に、性は男性か女性か、自分で決めて生まれてきたわけではありません。全て「生命の大親」の御親意(みこころ)によって生まれさせて頂いております

何の為にかというと、親の意識になるためであります。肉体は黙っていても成長していきます。しかし、精神である意識は、そのままでは成長いたしません。

意識は、その人それぞれによって皆、違います。その意識を高める為に、若い時に問題を与えられる人、中年期に問題を与えられる人、晩年に問題を与えられる人、いずれにしても、その人の一番より良い時期に、魂の成長する問題が与えられます。

それは悩みではなく、其の人が努力すれば必ず解決できる問題であります

このような問題、言い換えれば、事状(あえて事情といわない)とか身状(身情といわない)の問題が誰にでも与えられます。

決して生まれた星が悪いとか、名前が悪いとか、住んでいる方位が悪いとか、先祖が浮かばれていないとか、この世が苦の娑婆だとか、悪の世界だとか、誰かの因縁があるだとか、そういうことは一切関係ありません。誰のせいでもありません。

自分の意識を高めるための問題であり、決して他のせいではありません。そのような悪い世界を「生命の大親」が造るわけはありません。親は苦しめるために、この世界を創造致しません。

問題を解決するに当たり、この大自然界を構成している原理、原則があります。この原理・原則・掟も「生命の大親」が親創造して下さっておられます
このような原理である理法は、何人が知ろうと知るまいと、何人が気付こうと気付くまいと、好むと好まざるとにかかわらず、いつでも、どこでも、誰にでも、何にでも、働いている大自然の力と働きであります

しかし、この力と働きは、事実であり、もろもろの言葉で表現しても、それは言葉であり、事実ではありません。例えばリンゴと表現しても、言葉は言葉であり、リンゴは、リンゴという事実をもって現されています。これを自明の理」といいます

自明の理とは、事実が事実をもって事実を証明し、現しているということです


こういうことからいくらこのような理法を知ってもより良くはなりません

そのような生き方をしなければ、そのようにはなりません。このような事が判って、理法を生命に刻まなければなりません。

その一つの原理が循環の理法であります。

この循環の理法は誰にでも当てはまる原理・原則・掟であります。私達の生きているこの地球は、春夏秋冬と自転、公転をしています。血液も心臓から出て、心臓に帰ってきます。種を蒔くと芽が出て、葉が現れ、花を咲かせ、実を付け、やがて枯れてまた種になっていきます。人間も息を吸ってまた息を吐き、寝ては起き寝ては起きます。言葉も「させて→頂きます」「行って→いらっしゃいませ」と循環しております。輪廻転生という言葉も、生まれ変わるという意味です。この様に循環しております。

大自然界の全ては、目に見えるものも、目に見えないものも、全部循環しております。いわゆる形があろうと形がなかろうとも全て循環しております。しかし、人類は、形あるものには循環していることが判っても、形ないものにも循環していることが判っていません

だから悪い種を蒔いて自己中心の生き方をすれば、まわりまわって、その種が我が身に帰ってくることが判っていません。何故なら自分たちの行いが、目には見えないから循環してくるということが判らないでいます

このことは宗教宗派に入っていようといまいと男性女性も関係なく、人種も年齢も動物人間も一切関係ありません。つまり自然界の原則・原理・掟は誰にでも当てはまるということです

循環の理法によりプラスの種を蒔くと、その結果プラスの結果が現れてきます。しかし、マイナスの種を蒔くと、循環してきてマイナスの結果になります。

このような循環の理法』は「生命の大親」が、私達がより良く生きていく為に親創造してくださった親理である理法であります親理は、要するに、親の理であります

だから、私達も生命の一部を頂いていることから、肉親の親に親孝行をしなければなりませんが、それ以上、どうしても「生命の大親に対して親孝行をしなければなりません。これが一番の生き方の根本であります。


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by shizennori1 | 2017-04-11 11:45 | 17.「循環の理法」


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