2017年 04月 11日

20.「原因・結果の理法」①

科学は大自然の事実を事実としてとらえて、その原因・結果を探求していくものです。例えば医学は肉体的なことの原因・結果を究明していくものです。しかし、肉体的なことが精神や情緒に影響されるという事の事実が判明すれば、医学は肉体的な物質面からだけの原因・結果を調べるだけではすまされないのです。


生命あるもの、感情あるものは、総てその心の状態が肉体に影響します。これは当然の事ですが、最も大切で絶対に犯すことができない大自然の原理原則です。

もし心配事があれば、ぐっすりと安眠は出来ません。常に不安でいらいらしていれば、心臓にも良くないし、胃にも悪いのは当たり前のことです。ストレスが体に悪いことは当然です。

情緒が不安定であれば、心を紛らす為に酒を飲んだりすることは自己保存の本能による精神安定を求めた姿ですが、却って酒で肉体的健康を害したりして何の徳にもならないのです。しかし、こんな事はよく判っていながら感情にながされて酒を飲み体を悪くするケースが多いのです。だが、心を紛らわそうとして酒に逃げて肉体を悪くしても、心身ともになんのプラスも解決もないのです。
「原因・結果の理法」は、大自然の総てにあてはまります。物質的現象にも、肉体的ことがらにも、心や感情の面にもあてはまるのです。そして大切なことは、運命的な原因・結果もあるのです。

大自然がそのような現象を起こす以上は、そこに運命的原因・結果が厳然として働いているのです。

今迄、人間は運命的原因・結果を白蛇・悪霊・方位方角・易・家相・墓相・印鑑・お経・仏像・お札・手相・人相等々の所為だとしてきました。これらのものは人間が勝手に観念の産物として創造したものです。人間自身の勝手な錯覚なのであります。


運命的原因・結果
は大自然の「生命の大親」の親理法則の力と働きによってなされるものであり、それぞれの運命・環境を与えられて、全生物の生存が40億年にも亘りこの惑星地球で続いて居るのであります。

何時・何処でどの様な親の許にどんな状態でこの世に生まれてくるのか、いつ誰と出会いどのような事を行うか、何歳の時にどんな病気をするか、事故にあうのか等は全て運命・環境として大自然の「原因・結果の理法」のお力と働きによって与えられるものであります。
大自然の全ての現象にはそれぞれの原因・結果が厳然としてあるのであります。
ただ、今まで人間がこの運命的原因・結果の事実を認識していなかっただけの事なのです。

人間が科学として行っていることは、大自然の色々な事実を「原因・結果の理法」によって認識・理解することなのであります。

原因・結果を肉体面にあてはめて認識・理解をおこなっているのが医学であり、認識・理解の対象を天体にした場合は天文学となるのであります。心理学でも、原子物理学でも、あらゆる学問・科学とは「原因・結果の法則」にあてはめて認識・理解を行うことなのであります。

しかし、人間は未だ運命現象を対象とした原因・結果の研究も、認識・理解もしていないのであります。

大自然が行っている総ての現象に「原因・結果の理法」が働いている事を人間は認識・理解しているのにもかかわらず、大自然が与えてくれている運命的現象にだけは原因・結果がないと考えるのは、大変な矛盾であります。

「生命の大親」が大自然をとおして行って下さっている運命現象の原因・結果を人間が未だ認識・理解していないが故に、運命・環境に働く「原因・結果の理法」が信じられないのです。

しかし、大自然の親理(真理法則)とは、何人が気付こうと気付かざるとにかかわらず、好むと好まざるとにかかわらず、何時・何処でも、誰にでも、何にでも事実として絶対に働いている原則であります。


人間の認識・理解を越えて事実その原因通りに結果が現れるのであります。

人間に自由意志を与え、知性・理性・感性を与えて科学、芸術、哲学、宗教 などを発達させるようにしている根源的力と働きは大自然にあるのであります。即ち、人間のあらゆる生存行為すらその根源は大自然の「生命の大親」にあるのだ、ということであります。


人間は
「生命の大親」によってこのように発達する運命・環境を本質的に与えられているのであるということであります。


従って、科学も、医学も,全ての学問は大自然のそれぞれの部分を対象として、大自然の親理(真理法則)を認識・理解する人間の生存行為であるといえるのであります。


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by shizennori1 | 2017-04-11 12:10 | 20.「原因・結果の理法」①


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