2017年 01月 14日

9.運命を良くする生命霊財産(徳)①

これより述べさせて頂く生命的財産(徳)のことを是非分かって頂きたいです。しかしこの様な事が分からないで生きても何ら価値がありません。どんなに知識をいくらもったとしても、知ったとしてもがないと何にもなりません。

私達をこの世に活かして下さっているという「生命の親」が生命そのものにつけて下さっている運命財産・徳のことをしっかり悟らなければなりません。は目に見えません。

私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」とは自然界をお創り下さっている創り主そのものの御存在であります。

人間のいう宗教宗派には一切関係ありません。生命そのもののことであります。

何故なら宗教宗派を知らなくても動物は活かされ生きて居ります。
だから、生きる事に、宗教宗派は関係ないことになるのであります。

その上でどの様に生きたらよいのかと言うことになります。
「生命の親」が私達の生命につけて下さっておられます徳の事が非常に大事になるのであります。

徳とは、生命そのものについている運命貯金・運命財産であります。このことを悟って生きていかなければなりません。

   お供えの理

お供えとは、自らの備えの事であります 運命環境が増々良くなるための備えの事であります。
大自然に蓄えた運命貯金の事であります。 永遠普遍の無形財産の事であります。 自己の生命的本質となった生命的財産の事であります。

私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」が認めて下さった永遠普遍の無形財産の事であります。

私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」親理のお力お働きにより 如何なる現象も変化も可能ならしめる創造的能力の財産であります。

この無形なる永遠普遍の生命的財産をといいます。

とは 私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」が認めたものであります。大自然の全てに通用するものであります。
生命界(生命の世界)・霊界(意識の世界)・物質現象界(形ある世界)のあらゆる事柄に通用するものであります。

生命力の増強も 霊的向上発展も 運命の開発も 人生の充実も社会的肉体的向上発展も 全てという無形財産によってなされます。 とは全ての原動力であります。

金は人間が認めた社会的財産であり 人間が認めている範囲でしか通用いたしません。
人間によって創造された金は 人間がその価値を認めなくなれば もはや金として通用しなくなります。
徳に比べれば金や物が如何に多くあったとしても 自己の運命には通用いたしません。

運命環境を良くする力は生命的財産である徳にあります。

とは私達をこの世に活かして下さっているという「生命の親」が自己の生命的本質に与えて下さった永遠普遍の財産であります。

という生命的財産がなくなると たとえ老後のために社会的財産である金や物を如何に沢山たくわえておいたとしても 老後の運命環境が悪くなり 不慮のマイナスの出来事が次から次と起こり たくわえた金や物を失う結果となり不幸で孤独な生涯をとじる事になります。
人間は何日何処でどの様な事故にあうか病気になるか予測できません。
あるいは又 どんな素晴らしい出来事にあうかの予測も出来ません。

プラス・マイナスの出来事は運・不運であり 運・不運は徳・不徳によるものであります。

徳人はたとえマイナスの出来事にあったとしても その事がかえってプラスの結果を生む事になります。

災い転じて福となるのが徳人 災いが更に災いの種として増々不幸になるのが不徳人であります。

徳人は子孫に美田を残さず 
という永遠普遍の生命的財産を残す
不徳人はを残さず 美田を残す

猫に小判という諺があります。
猫に小判の価値は理解できず 不徳人の価値を理解する事はむずかしいのであります。
子孫に美田を残しても がなく不運であれば結局全てを失ってしまう結果となります

の価値と貴さを理解できるのは徳人なり

徳人は永遠普遍の生命的財産であるの価値と貴さを理解できるが不徳人には理解できません。
それは猫に小判の価値がわからぬのと同じことであります。
私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」が認めて下さった真性なる生命的財産であるの価値と貴さを理解し悟ることは人間にはむずかしいのであります。

真性を開発した生命の御子であるならば、それは容易であり、当然な事として徳積ができます。即ち 真性なる意識と人間的目先の意識の違いであります。

真性なる生命の意識は 永遠普遍の生命本来の財産である徳を求めます。
物質現象界の人間の意識は今生だけの目先の社会的欲求だけを満たそうとするのであります。


私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」が認めて下さったという価値と人間が認めた金という価値の相違を判るのが生命の御子であります。

真性を開発した生命の御子は徳積みを行って最高最善の備えを行うことになります。
人間は金という社会的第二次段階の価値の備えしか判らないのであります。

人間は老後の備えしか考えないが真性を開発した生命の御子は霊的意識に戻った世界の事 更に又 再び肉体を与えられてこの物質現象界に誕生する来生 再来生のこと迄を考慮して永遠普遍に通用する備えを行うのであります。

今世 この世に生を受けて誕生した事も 今日まで活かされ生きてきた事も種々な運命や環境が与えられてきた事も 全てが大自然における私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」のお力お働きの賜であります。

私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」の親理のお力お働きを無視して人間考えで老後の備えを行う事は幼稚園の子供が親の愛の力と働きを無視して自分の小遣銭をためて生きてゆこうとするが如きものであります。

自分を育ててくれる親の力と働きを無視しては生きて行けません。同様に
私達をこの世に活かして下さっている「生命の親」の大自然のお力お働きを無視しては全生物の全存在はあり得ません。

今生の老後だけの金銭的物質的備えは自己の本質的備えとはなりません。
しんの本質的備えとは 自己の生命的向上発展と霊的観念の高まりのために
永遠普遍の生命的財産であるを積むことであります。

大自然の全ては私達をこの世に活かして下さっているという「生命の親」の親理のお力お働きによって成立し営まれています。

とは 私達をこの世に活かして下さっているという「生命の親」 の親理のお力お働きをどれだけ自由に使用させて頂けるかという分量であります。
あるいは どれだけ自分の望みを達成させてもらえるかという分量であります。


が十分に備蓄されているならばどうしてもこの様な運命になりたいと願えばその様な運命として現れるのであります。
良縁を望めば良縁となって現れる。 仕事を望めば望んだ仕事が与えられる。 どうしてもこの病気を治してもらいたいと願えば病気がなおることになります。 一般世間の人間考えではそれを奇跡と呼ぶが それは決して奇跡ではなく「原因結果の理法」にかなった当然の結果であります。
誰でも理にかなって行えばできることであります。

運が良かった悪かったとか間が良かった悪かったという事は全て徳・不徳の結果であります。
徳人であれば如何なる人生を通ろうともその人生を味わいある喜びと感謝の生涯とすることができます。
人生を充実させ自己の霊的観念の高まりと「生命の法則」に沿った向上発展を行うことができます。
不徳な者は如何に恵まれた運命や環境であろうとも不足不満の苦しみの人生を送る結果となってしまいます。

物質的に多量の消費を行い豊かに恵まれている筈の現代人が生存の喜びや感謝の念を持つ事ができずむしろ不足や不安感を抱いて暮らしているのは不徳なるが故であります。

不徳な者は如何に物や金があろうとも喜びと感謝にあふれた人生を送れません


不徳な者は如何に素晴らしい人間関係や環境が与えられようとも それを素晴らしいものとして受け取ることができず、むしろ不足と不満で通ることになります。

徳とは人生を如何に幸せに通れるかを決める本質的要因であります。

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by shizennori1 | 2017-01-14 18:56 | 9.運命を良くする生命霊財産(徳)


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